|恵方巻きの起源はコンビニ?

 

 ところで、九鬼家の当主が「恵方を向かって座る」と言っていたところで恵方巻きのことを連想された方が多いのではないかと思う。
 恵方とは歳徳神がおられる縁起がいい方角のこと。歳徳神はその年の恵み(収穫や吉運など)をもたらす神様であるが、年ごとにいる方角が違うとされる。たとえば、己亥の今年は東北東が恵方に当たる。
 恵方は何をするにもいい方角とされ、この方角の社寺を参拝することを「恵方詣で」という。恵方巻きは節分に恵方を向いて太巻き寿司を丸かじりするというもので、無言で食べきると願い事がかなうとも、福が授かるともいわれる。また、カットしないのは〝良縁を切らないため〟ともいう。
 その起源は大阪にあるといわれるが、民俗行事としてそのようなものが行われていた形跡は確認されておらず、1989年頃からコンビニを中心に広まったもの考えられている。

■なぜ豆をまくようになったのか

|桃の実の代わり? 「魔滅(まめ)」?

 豆をまくようになったのも、追儺が節分儀礼となった室町時代頃のことらしい。
 なぜ豆をまくのかは、今ひとつはっきりしない。『古事記』『日本書紀』には、イザナギ命が黄泉の国で黄泉醜女(よもつしこめ)という鬼神に追われた際、桃の実を投げて追い払ったことが書かれているが、豆にもそうした呪力があると信じられたのだろう。高僧が炒り豆を鬼の目に当てて追い払い「この豆が芽を出すまで戻ってくるな」と言ったという伝説も伝わる。
 一説には豆は「魔滅」に通じるから鬼退治の力があるのだとするが、後づけの語呂合わせのように思える。
 

|大豆・鰯の頭・ヒイラギの葉の由来

柊(ヒイラギ)の枝に鰯の頭を挿した「やいかがし」。魔が家に入らないようにする呪具だ(※参考画像 「樒」の枝を使用)

 仏教民俗学の五来重氏によると、大豆は厄年の者が厄落としに使っていたのだという。歳より1つ多い豆を紙に包み、それで体をなでて厄を写し辻などに捨てた。これが投げ捨てる形になり、鬼を打つ豆に変わったと推測されている。
 節分には門口にヒイラギの葉や鰯の頭(これを「やいかがし」などという)を飾ることがあるが、この習俗は承平5年(935)頃に成立した『土佐日記』にも書かれている。主人公は元日に小家の軒先のしめ縄に鰯の頭とヒイラギの葉が挿してあるのを見て、都への思いを強くしている。
 この「やいかがし」は臭気やトゲで鬼を追い払うのだとされるが、もとは燃やしてその臭気や音で魔を避けたものらしい。あるいは豆も炒る音で鬼を払ったのかもしれない。
 

■神社・寺院行事「初午」と「涅槃会」

初午の日には大きな稲荷神社の参道に露店が並ぶ(西東京市・東伏見稲荷神社)

 1月には初薬師(1月8日)・初大師(1月21日)・初天神(1月25日)と、「初」がつく縁日が続く。言うまでもなく、今年最初の縁日の意味だ。
 ところが稲荷神社の縁日である午(うま)の日だけは2月に初午(はつうま)がある。
 これは全国の稲荷社の総本宮たる伏見稲荷大社の御祭神が和銅4年(711)の2月最初の午の日に稲荷山に出現されたことに由来している。
 初午の日には各地の主要な稲荷神社では祭礼が行われ、参詣者で賑わう。『今昔物語集』にも初午の日に多くの参詣者が伏見稲荷大社を参詣したことが書かれており、平安時代にさかのぼる行事であることが知られる。
 路傍や屋敷内の稲荷社にも稲荷寿司などが供えられたりする。
 

|2月の寺院行事

節分に寛永寺の文殊楼に登る参詣者(『東都歳時記』)

 いっぽう寺院では2月15日に涅槃会(ねはんえ)が行われる。
 仏教の開祖、お釈迦さまがインドのクシナガラで亡くなられたことを追悼し、その功績を誉め称える行事で、宗派に関わりなく行われる。
 「涅槃」とはサンスクリット語の「ニルヴァーナ」の音写で、悟りを開いた状態をいう。お釈迦さまは35歳の時に菩提樹の下で悟りを開いたのだが、人々を導くために煩悩のもととなる肉体にあえて残し現世に留まっていた。しかし、45年にわたる布教で優秀な弟子も育ったこともあり、肉体を捨てて完全な悟りに入ったのだとされる。
 法要ではお釈迦さまが亡くなった時の様子を描いた涅槃図が掲げられる。古来、多くの図(彫像もある)が作成されてきたが、高野山金剛峯寺や京の東福寺のものなどが有名だ。
 かつてはお寺で粥や団子などを配ることもあり、涅槃粥・涅槃団子と呼ばれ、子どもたちの楽しみになっていた。寛永寺・増上寺・浅草寺などは一般参詣者にも山門などに登ることを許したので、江戸各地から人が集まったという。