ひさしぶりに休みに晴れて、弁当をぶらさげ睡蓮のようすを見にい
った。
ことしの花ごよみは、なかなか難しい。いつもの年より早く咲くも
の、のんびりしているものとまちまちで、いずれにもいえるのは、い
つもの年より長く楽しめる。長梅雨だったまえの年のぶんも、見せて
くれようとしているのかもしれない。
池のわきには、紫の濃淡としろのしょうぶが咲きそろっていた。そ
のとなりには、近くの小学生が世話をしているちいさな田んぼが一枚
ある。田植えをしたばかりの水面に、五月の雲がうつる。弁当をひろ
げ、缶ビールをあけた。
睡蓮の葉は、まだたたみ半分ほどしか浮かんでいなかった。ちいさ
い花がみつよつ開いていた。池のふちから身をのりだし、花にかぶさ
るように写真を撮っているひとがいる。まわりを見まわすと、ほとん
どのひとがカメラをぶらさげている。
精巧なレンズをひとつぶらさげてきても、花に近づくなりカメラを
持てば、じぶんの目玉はないのとおなじになってしまう。せっかく来
たのに、おまかせでシャッターを押し、終わればさっさと離れてしま
う。すこしもったいない気がする。
池の、睡蓮からすこしはなれた水面に岩がのぞいていて、ここで亀
が三匹甲羅干しをしていた。ときおりカメラのほうに首をのばしてい
たのに、岩とおなじ色だから、気づかれなかった。
残念だったね。食べ終え立ちあがると、すぐそばにもう一匹浮かん
でいた。くるくる泳ぎまわっている。
まえに、亀戸天神の太鼓橋で、ぼんやり池をのぞいていた。しばら
くすると、岩だと思っていたものが、ざわついていると気づく。それ
がぜんぶ亀だった。わかったとたん、二の腕が粟立った。
あの年、連休まえなのに、藤は終わっていた。食べ終わったぶどう
のようにしぼんでぶらさがっていた。みやげに炒り豆を買うと、鳩が
襲いかかってきた。なにを見に行ったのか、わからないと帰ってきた
のだった。
まだ晩は肌寒くて、一枚はおるものを持って遊びに出る。
このごろの服は、いろんな混紡があって、綿や麻のなかに、すこし
毛や絹がまざっている。ほんのすこしの配合で、やわらかく軽くあた
たかい。さらさらと着心地もいいから、一年じゅう着ていられる。
自転車に乗るときのうわぎは、ジャージがいい。一枚持って出るの
を忘れると、歯を鳴らし唇が青ざめることもあって、この寒暖差が、
花をもたせている。
池の岩には、黒鷺もとまっていた。
痩せたからだをこうもり傘のようにすぼめて、じっとしている。一
羽でしとめるに、この池の鯉は肥えすぎている。さっきもおばさんか
らパンくずをもらい、いっせいにおおきな口をあけていた。
しろい鷺には、ああきれいと足をとめるひとも多い。くろいほうは、
日かげの石灯籠のように、遠巻きにされ、めずらしいわけでもないか
らカメラにも避けられる。
どちらも田畑によく見かける。土を肥沃にしてくれる生きものを食
べてしまうから、農業をしているひとには、歓迎されない。きれいと
眺めていられるのは、それだけ土と離れて暮らしているからともいえる。
水墨画なら、熱心に見てもらえるだろうに、いまはデジタルだから
ね。翼をたたみ、動かず水面を見ている背は、浪人のような殺気があ
る。餌をとろうと見ているのだから、それは当然のことだった。
お濠のふちを歩くうち、雪が降ってきたことがあった。車にかこま
れ、ひとどおりの少ない寒い日だった。
宮城にわたる橋の欄干に、黒鷺がとまっていた。羽をすくめ、やわ
らかく増えていく雪をかぶるままにしている。静かでいいと立ちどま
って見ていると、どうしました。おまわりさんに声をかけられた。鳥
を見ていたものでと、はなれたのだった。黒鷺は、ありのままの色な
のに、ふだんはほこりっぽい背景の色が、雪に転じた。目玉は、とり
まく景色にずいぶん頼っているものだとわかった。
両親の住む町には、たくさんの白鳥が飛来する。こちらの冬は、一
日じゅう深いねずみ色の雲に閉じ込められる。重たい雲を運ぶように、
泥ですすけた群れが、ときおりブイの字や一列に組み変わりながら行
きかう。泣き声も、羽ばたきも、公園の池にすむのと、おなじと思え
ぬほど荒々しい。完全防寒に守られ、裸の強さを及び腰で見送った。
便利な町にのうのうとまざっていて、ふと手足の力が抜けかかると
き、動かない太い輪郭に出会う。高い窓から光がさすと、ざわついた
背景が消え、駅にも道にも公園にも、ひとりきりの姿が浮かびあがる。
時計の流れや、関わりにまざらず消えぬ影、ひととはかぎらない。
古い柳の木だったり、ぴょんと一輪だけついた大輪の白バラのときも
ある。
すべて手ばなしたように見えるたたずまいに、呼吸だけはかならず
ひそんでいる。そういう、ひとりという鳥に、生きものだったことを
思い出させてもらう。
……しょせん、さいごはひとりなんだ。
困りごとをあれこれ話して、すべての結論がそこにいきつく。
そこまでの道のりが、おもしろいから、町を歩く。どんなにそばにい
ても、さいごはひとりとうそぶくひとの、ほんとうのひとりには会え
ない。ことばを重ねあうほど、はなれていくこともある。歩くうちに
光が動き、またいちめんじゅうのひとの世があらわれてきた。
乾いた晴れのしめくくりに、焼き鳥やののれんをくぐる。まるい椅
子に腰かけ、梅きゅう、レバーとねぎま、塩でといい、千秋楽を見あ
げる。ふたり横綱になって、また楽しくなるからよかった。
十人ほど肩をならべているのは、みなひとり客だった。会社がえり
の背広のひと、手ぶらのおじさん、新聞を器用にたたんで読むひと、
パズルにうちこむひと、好きなことをしながら、ときどき竹串を持ち
あげる。
注文以外のはなしもせず、となりに声をかけることもないまま相撲
がおわる。よそでもう一杯呑んで帰ると決めて立った。
つぎのバーは立ち飲みで、若い客が多いのに、こちらもしらんぷり
で並んでいる。同じほうをむいて、だまったまま立っている。ひとり
ひとりの肩をでこぼことたどり、とまり木とは、よくいったものと思う。