しろい虹/石田 千
石田千さんの紡ぐ、
いろいろな「色」のかたち。

― 四季が彩り、時が奏でる、連載エッセイ ―

15.ミチ

 暦の数字が赤くなったとたんに熱を出し、さえない連休となった。
 買いものにも出なければ、ひとの声はきこえず、窓を開けても車の
音もない。アパートのひとたちも、だいたいどこかに出はらった。こ
のアパートひとつにしても、ふだんどれだけにぎやかにしているかわ
かる。
 日なかはこんなに静かなのに、寝ようとするとガリガリと始まる。
東京にひとのすくないうちに道路を掘ると、おととし知った。それま
では、たいてい連休は帰省をして、留守にしていた。
 風邪薬のぼんやりした眠りの入り口で、きゅうにはじまる。寝入り
ばなをくじかれ、水を飲む。音楽をかけたりすると、よけいにさえて
しまうから、砕ける音をききながら目をとじ、だんだん夢のなかにも
どっていく。不本意な音に強いのを、町の人間とひらたく思う。
 このたびは、のどからきた。腫れすぎて、のどの奥はしろい。いつ
もとちがうところが腫れて、鼻もいっしょに熱を持つ。ものの味がわ
からず、熱がさがってもビールはただ苦いばかりでいる。
 おそらく、昨晩見舞いに来てくれたひとからうつった。一週間まえ
にあったとき、おなじように、喉を腫らしていた。思えばもう何年も
このひととは、風邪のキャッチボールばかりしている。
 うつしうつされたことを互いに察しているから、へんに気を使いあ
う。お客はぎくしゃくと優しい。使いかけなんだけど、けっこうきき
ましたよ。治って用のたりた咳どめ飴の缶を置いていく。ありがとう。
目のまえでなんども鼻をかまないように、ティッシュペーパーをあて
たまま鼻声でいう。
 休みのときは休むのがいいから、風邪をひいてよかったんだ。病人
が見舞客をなぐさめている。
 風邪がうつった日は、夕暮れまでは夏の気温だった。薄着のまま出
かけたら、夜半に小雨が降る。始発を待ちながら飲める町だったから
平気でいて、翌朝もすこし降られた。ここで、あんのじょうとなった。

ミチ

 明け方、せっかくだから朝ごはんを食べよう。二十四時間のレスト
ランにむかって、歩き始めた。こっちを歩こう。ならぶひとは、大通
りの一本うしろにはいっていく。道にひかれた白線のうえをたどって
みると、どちらもすこしふらついている。
 歩きなれない町の一日が始まる。とうふやの湯気のうこうから、前
かごを新聞でいっぱいにした自転車が近づいてくる。さきざき丸くつ
いていた外灯が消えるとき、どこかの窓から時報が聞こえた。
 ちょうちんの店は、もう明かりがついている。なかにいるおじいさ
んのあぐらのあいだは、祭礼と書いたしろいちょうちんがのっている。
 古い三軒長屋がいくつも残っている。雨に洗われたやつでも、ぴん
と目をさましている。いいところだねといいながら、もうくしゃみが
始まっていた。だんだん道すじを斜めみぎにたどっていると、気づい
ていた。
 閉まっている古い喫茶店の、ホットドッグセットが気になる。こん
ど食べようといいあう。魔性のコーヒーとは、どんなだろう。看板だ
けをながめ、シャッターのなかに思いをめぐらせ、話をこしらえて歩く。
 店やるなら、ホットドッグの店がいい。この近くに、大好きだった
店があった。やるならその味を再現したい。へええと見あげると、あ
んがいの真顔だった。ずいぶんまえに、確かに料理のてぎわがいいと
思ったことがあった。
 親しいつきあいが長くなっても、はじめてきくことがある。ほんと
うにやるなら、この町がいいんじゃない、おじいさんたちは、ホット
ドッグが好きだよ。馬券売り場でよくかじっているよ。
 そういうと、いまそう思ってたところ、それから、ぐんと背をそら
し、あくびをした。おはようございます。ウォーキングのおばさんに、
声をそろえてあいさつをした。

 手もとにある字引きは、中学の入学祝に父からもらった。めくると、
あちこちに鉛筆のしるしがある。ページの角が折れているのを英語で
はドッグ・イアーというと、ホットドッグの話のついでに知った。
 一冊すすめる本ときかれたら、字引きと答える。知らない言葉を、
やさしく教えてくれる。知っていることばの、客観的な響きを知る。
ずいぶん汚れているのに、きっと一生この一冊ぶんの言葉も覚えず終
わる。引いた言葉のとなりには、いまだはじめての言葉が並んでいる。
 あたらしいと、引いてみた。いくつかの意味と例文をたどる。いま
までにはない、様子が違う、こんどはじめてのもの。
 ほんの三日ほどまえの夕方、そういうものを見た。
 待ちあわせたひとたちは、会ったときにはすでに見ていた。落ちつ
かない、心細いような額で集まっているのは、めずらしいことだった。
 とにかく見なさいという目配せで、机のうえに現れた。そうして、
はじめてむかいあう。
 一枚の紙は、青い絵だった。もう一枚は、ひとの顔に見える。
 だまって顔を近づけていると、青い絵も顔とわかる。顔とわかって
見ているのに、まばたきひとつでこばまれる。こめかみが、その手ま
えの感覚に急速にひっぱられていく。絵を、絵とわかるまえに、から
だごと戻されていく。
 腕をつかまれ、時間をさらわれる。年をかさね備えた先入観は、ひ
と目ののちに暴風のなか、あっさり奪われ吹き飛ばされた。この風の
中心には、顔に顔という名のあること、顔という文字のあることをほ
しがらない強い目がある。
 腰をかがめ、なんとか踏みとどまって、言葉をさがす。たとえば、
大昔のひとたちが残したものにも、そういう力があるだろうと考えて、
すぐにはねのけられる。この風の強さ、はみ出しかたには、素朴や原
始の透明度がない。あきらかにこの文明から生まれたものだった。
 嵐の奥にむかって、これは絵だろうかと問いかける。絵という名ま
えで呼んでいいのかとまた近づく。ごうごうと聞こえるだけで、答え
はさがせない。
 おそらくそのときいっしょにいたひとたちも、ふさわしい言葉を探
しつづけていた。きゅうに落ちてきた隕石をかこんで見ているような
畏れもいっしょに持っていた。この新しいものをかこみ、ぽつりぽつ
りと言葉をあてはめ、見当たらない。放つ矢は、ことごとく萎えた。
 顔は人体の部分として、文字は意思伝達のすべとして、本は過去か
らいまの記録として安心していたことが、あっさり、ひっくり返り、
途方にくれる。そんなふうに考えたことが、いちどもなかった。それ
が、このあたらしいものの力だった。ひとの手というのは、概念を打
ち破る道具であると思いしり、腕が粟立つ。
 この目は、目という名まえを拒んでいるのに、唇をたどると形も色
も、とても懐かしい。まじまじと見ていると、反対にこの現れかたは、
特別な状態ではないともわかってきた。
 知らない道を歩く。シャッターまえに立ちどまり、ひとの声をきき、
文字をならべてみる。そんなときにも、これはなんでしょう。きっと、
死角にたたずんでいた。
 いままでだって、町にあふれるすべてを未知のものとして、手にと
ることはできた。そう思わせるものはあったのに、気づかず過ぎてい
たのだった。
 名まえを越えるもののあらわれかたは、山菜取りとも似ていた。は
じめは見えないのに、まばたきひとつで、きゅうに浮かびあがる。か
こまれていると気づき、足がすくむ。そんなおどろきに、まだまだ会う。
 興奮した晩から、微熱がつづいている。
 あの新しいものの瞳は、ひとがずっと持っていて、使わずにいた装
置だった。見ていらい、あきらかに違う視線が首筋のあたりでもどか
しげにとどまっている。ふと気づくと、ありかを確かめている。
 まだ慣れないから、すこし油でもささないとうまく動かない。もう
気づいたから、そのうちきっと開くようになる。
 あたらしいものは、もうすぐ多くのひととむかいあう。
 その手であらわしたひとは、佐々木美穂さんである。