しろい虹/石田 千
石田千さんの紡ぐ、
いろいろな「色」のかたち。

― 四季が彩り、時が奏でる、連載エッセイ ―

14.ウマ

 金曜の夜、待ちあわせをしていた。近づくひとが、手を振っている。
久しぶりに町に出て、日の暮れるまで遊びまわっていた。喉はひから
び、足も痛い。ベンチに腰をおろしたまま、ゆらゆらと振りかえす。
 どっこいしょ。腰のなかで声にして、立ちあがる。ならんで歩き、
すてきな店のショーウィンドウにさしかかる。もう夏のサンダルが飾
られていた。
 ……いまね、靴磨きに凝ってるんだ。
 となりのひとが立ちどまり、ガラスをのぞく。
 いろいろクリームもそろえて、ていねいに磨いていく。いままで履
かずにいた靴が、新品のように見えて、履きたくなる。得した気分だ
よ。磨く手振りをしながら、横顔はすがすがしい。
 ときどき寒がもどり、まだサンダルはためらう。それでも、黒いブ
ーツはしまいどきとなった。この週末、からりと晴れたらベランダで
靴磨きもいい。そう思うと、さっきまでの腰の重みがさっぱり抜ける。
このひとは、会うといつもみぢかな楽しみをわけてくれる。
 おととしから、下駄箱では登山靴がはばをきかせている。泥だらけ
にして戻って二三日は、からだが痛くて動けない。靴についた泥が干
からびたころ、ブラシでおとしてから水で洗う。
 この靴は、履きごこちだけで選んだ。不慣れな山道で、靴ずれにな
るのは恐ろしい。それで、ふだんは選ばない、椿の赤の靴になった。
山にのぼらなければ、一生履かなかった色と思う。
 のぼっては洗い、防水剤を塗る。がっしりとした見かけなのに、軽
い。足首まで、ひもをきちんと編みあげて履く。最初の日から、どこ
も痛くなかった。
 二ヶ月のうちの、せいぜい三日履くほどなのに、もうずいぶん傷が
ついた。縫いめに入りこんで、こすっても取れない汚れもある。しっ
かり乾かし、また靴ひもをかけると、つぎはどこに行こうかという気
になる。
 買ったとき入っていた箱には、この靴の名まえが書いてあった。ふ
もとでは、ひもを確かめ結びなおす。そのとき足もとを見る。行くよ、
サッポロ。それから、リュックサックをしょう。競馬でいえば、ゲー
ト・イン。スタート直前の緊張がある。
 名靴サッポロ号は、水たまりにつっこんだり、泥ですべったり、雪
に隠された穴に落ちた。それでもすり傷切り傷ねんざもさせず、重た
い足をのせ、つれて帰ってくれる。せめてもの礼は、きれいに洗って
やることだった。

 残念ながら、週末の天気はくずれた。
 金曜の晩、いっしょにいった店の奥さんから、たくさん甘夏をいた
だいた。マーマレードにしてみようかといったら、無農薬の畑にある
木ですから、皮も安心して使えます。たくさん作ってお友だちにあげ
たらいいですよ。また三つ、袋にたしてくれる。
 果物庖丁でうすく皮をむき、せん切りにする。実の房を開き、実を
鍋にいれ、とろ火で煮詰める。
 道具を洗って、しまう。流しや床の水しぶきをぬぐう。そのときよ
うやく、マーマレードという言葉が浮かぶ。雨の窓は、さわやかな香
りと湯気ですこし明るくなっている。
 手を動かしつづけているときは、より細くと歯をくいしばり刻んだ
り、房の、ぽろりと実のはなれる方向だけしか見ていなかった。火に
かけ、もうすることがなくなって、上出来ならおむかいさんにも持っ
ていこうとか、パンはあったかな。さきの景色が見えてきた。
 これも山のぼりの頭に似ている。ときおりふつふつする鍋を、かき
まぜる。
 結果があることを、すっかり忘れてのぼっている。とちゅう、だれ
の顔も声も思い出さない。そのままふと終点についていたから、整わ
ぬ息のままぽかんとした。
 ひとりぶんの馬力のよろこびは、そのあたりにある。満足できると
ころまで、好きなだけいていい山が、ひとつある。頂がなくても、か
まわなかった。とちゅう、道しるべを見た。こちらは、ドンマイ。あ
ちらはうまい。玄人しろうとの境目は、そのあたりだった。
 うまいの山道は、どれほどの険しさか検討がつかない。道みちの困
難を承知でのぼったひとたちにしか、見られない空がある。さきにの
ぼったひとたちの積みあげた小石が、ときおり頼りになるのかもしれ
ない。
 いっぽう、ドンマイの道は、気楽に荷を軽くしたぶん、さびしい。
叱咤激励のにぎわいを、みな置いてきてしまっている。
 好きに歩いても、会うのは葉うらの虫や捨てられた猫、飢えた熊も
いる。きょうは、ここまでにしよう。こんどはどこにいこうか。めぐ
らすにも、話す相手がいない。
 道しるべでふたてに離れても、心細さはどちらの行程も変わりがな
く、いつかそれぞれの山をぐるりとまわり、また会うこともある。道
しるべのてまえに、飽きずに歩きつづけられる山か、ふもとからなが
める。それが、いちばんむずかしい。

ウマ

 うまくて、つまらない。酔えば口をとがらせ、そんな声が出る。あ
の店は、あの酒は、あの絵は、あの声は。例外は命にかかわることぐ
らいだから、ぜいたくな不平を後日悔やむことが多い。
 むかいあい、ぴんと好むものよりも、首をかしげそのままにすぎた
ものを見澄ませていたら、また違う景色を見つけられたのにと残念がる。
 みぎも左もわからぬところから学び、だんだん手慣れる。そのうち
知らない山のふもとにいると気づく。
 高い山に、たくさんのひとがしがみついている。はるか遠く、霧の
むこうに鈴の音がする。足もとの靴あとしかわからないという山もある。
 のぼる山を自分で選ぶひともいるし、無理強いされるひと、だれか
についてきたら、ここにいたということもある。また、のぼることし
かすることがないわけではない。
 からだを動かし続けて、気づくと見晴らしのいい峠にいる。調子の
いいときは、気分がいい。どれくらいのぼったか、あとどれくらいか。
荒い息ばかりが耳にかぶさり、ただ足を交互に動かすばかりの日もあ
る。どちらにしても、しばらくするとてっぺんを目指してのぼりた
いという目的が、すっと遠のいている。
 ふもとで見あげた山にひと足踏み入ると、土と木、花や岩にかこま
れる。きゅうなのぼりや、険しい岩場にしがみついていると、考える
いとまはない。そういうとき、一馬力のからだはいちばんおもしろが
っている。
そのときの景色をみやげにおりてこられたら、うまいの道からは技
巧のとがりが消え、ドンマイの道からは、ひなびた共感がたちのぼる。
 自然のほかは、どんなものも、そういう目玉で作られている。美に
かかわるものに限らない。
 手足を動かしのぼったひとは、とちゅうの道のでこぼこを覚えてい
て、たいてい言葉を用意している。好き嫌いで愛でたりはねつけてば
かりで手ばなすには、惜しいものにかこまれている。