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肉食をやめ、牛乳を飲んだ奈良時代の貴族たち

貴族の一部は日常的に牛乳を飲んでいた?【和食の科学史③】

■日本でも珍しくなかったマラリア

 奈良時代になると国家の基盤が確立され、海外との交流が一層盛んになりました。大陸の唐や新羅への遣唐使、遣新羅使の一行が疫病を持ち帰ることもあり、735年に始まった天然痘の流行も、大陸からの人の移動にともなうものと考えられています。

 このときは、大化の改新で知られる藤原鎌足の子、藤原不比等(ふひと)と、その4人の息子が相次いで天然痘で死亡しました。600人、700人という規模の僧侶が宮中で読経し、ときの聖武天皇は大赦を行い、全国に国分寺、国分尼寺を設立し、さらには東大寺に大仏を建立するなど思いつく限りの手を打ちましたが、流行は勢いを増すばかりでした。

 加持祈祷だけに頼っていたわけではありません。薬草を使った薬酒はすでに作られていましたし、牛乳、乳製品も栄養価が高いことから薬として用いられました。牛乳は古墳時代の末に天皇に献上されており、その効能がよく知られていたようです。日本各地の物産、草木、伝説などを記載した風土記の編纂も
進められ、病気の治療法と、各地に自生する薬草が数多く収録されました。
 756年に崩御した聖武天皇の遺物をおさめた東大寺の正倉院には、大陸や、遠くはインド原産の薬が約60種類伝えられており、一部は鑑真和上が持参したものではないかといわれています。鑑真は聖武天皇の招きで苦難の末に来日し、仏教だけでなく医術、薬学を広めました。
 病人を収容して、薬草による治療を行う施薬院、悲田院という施設も都の各所に作られました。ここで活躍したのが藤原不比等の娘である光明皇后です。らい病、現代でいうハンセン病の患者の体から皇后が膿を吸い出したところ、患者が仏の姿をあらわし消えていったという説話は有名ですね。
 全国で猛威をふるう天然痘だけでなく、限られた地域で発生する疫病もあり、湿地ではマラリアが頻繁に発生しました。マラリアというと熱帯の病気と思われがちですが、マラリア原虫に感染した蚊が湿地で繁殖するため、水田が広がる日本では昭和の終戦後までありふれた病気でした。奈良時代には瘧(ぎゃく)と呼ばれ、701年に完成した大宝律令は重要な病気の一つに瘧をあげています。

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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