■今よりずっと背が高かった門松

|神様が降臨する際の目印

 みなさんはご自宅の前に門松を立てられただろうか? 筆者のようにマンションの住人の場合、建物の入口にあるから不要とするか、やはりなんだかのものはつけるべきか、悩ましいところだ。

「東都歳時記」に描かれた門松

 ところでこの門松、江戸時代には今と形が違っていた。『東都歳時記』の正月風景の図を掲げてみたが、屋敷の前に葉が茂った丈の高い竹が立てられているのがわかるだろうか。これが当時の門松である。昔の門松は、なぜそんなにも高かったのか。それは、神が降臨する時の目印とするためのものであったからだ。

 そもそも正月とはそれぞれの家で年神(歳神・正月様)を迎えてお祀りするものであった。この年神が迷わずに家に来られるよう立てるのが門松で、いわば年神の依り代なのである。

 

 したがって立てられる場所も門前とは限らず、農村部では中庭ということも多かった。「庭では門松ではないではないか」と思われるかもしれないが、民俗学者によると「かど」は門の意味ではなく庭のことだそうだ。門松と呼ばず、お松様とか正月様というとこともあるという。

 本来は門松に使う松は、自分で採ってくるものであった。しかも、採ってくる日も煤払い(大掃除)同様、12月13日とおおむね決まっていた。
 つまり、門松を立てることが正月準備の始まりを意味するものであったのだが、時代が下がるにつれて立てる時期が年末にずれ込んでいった。

 また、江戸のような都市部では松や竹を自分で調達するのは難しいので、年の市などで購入することが一般化した。
 

|鏡餅の由来は神社でご神体とされる鏡

 

 門松を依り代として家々に降臨してきた年神は、家の中に招き入れられ鏡餅に鎮座する。鏡餅という名は丸い形が昔の鏡に似ていることによるが、ただの鏡ではなく神社でご神体とされる鏡になぞらえているとみてよいだろう。
 1月20日あるいは小正月(15日)に鏡開きを行って、鏡餅を小豆粥などにしていただくが、これは、神が宿って神聖な力をもった餅を食べることによって神の力をわけてもらう儀礼なのだ。

 なお、仏教民俗学者の五来重先生によると、鏡餅を供える習俗はお寺の正月儀礼である修正会(しゅしょうえ)から始まったものという。
 修正会では壇供(だんぐ)と呼ぶ鏡餅と造花を仏前に供えるが、儀礼が終わると参詣人に配られる。参詣人はどうせいただくのなら造花より餅のほうがいいので、壇供のほうに人が集まるようになる。ここから出た言葉が「花より壇供」なのだそうだ。

 「やがて(壇供が)団子と誤られると、花は花見とおもわれ、無風流な団子好きのイメージをつくりあげてしまった」(『仏教歳時記』)

 

■神社とお寺では異なる初詣の意味

|「初詣」は鉄道会社が考案した?

 さて、皆さんはもう初詣をすませただろうか? それは、神社で? それともお寺? 実は、同じ初詣でも、神社とお寺では意味が違っているのだ。

初詣で賑わう高幡不動尊

 

 ちなみに、「初詣」という言葉は明治以降に登場したものだ。
 九州産業大学の平山昇先生の研究によれば、初詣は鉄道会社が集客のために広めた「習俗」で明治18年(1885)頃に登場したという(『鉄道が変えた社寺参詣』)。
 しかし、それ以前は、三が日に寺社詣でをしなかったのかというと、そうではない。たとえば、天保9年(1838)に刊行された『東都歳時記』の元日の項には、こう書かれている。

「神田社。芝神明宮。深川八幡宮。市谷八幡宮。御蔵前八幡宮。その余、諸神社参詣多し。(略)◯恵方参詣社。」

 最後の「恵方参詣社」とは、恵方(福徳を司る歳徳神がその年にいる方角のことで、縁起がいい方位とする)にある神社を参拝することをいう。
 この恵方参りが初詣の起源となったともいわれるが、住んでいる土地の産土神(土地を守る神さま、今は氏神ということが多い)の神社を詣でることが一般的だった。
 『東都歳時記』には記されていないが、先述のようにお寺では正月に修正会が行われたので、有名寺院も参詣者で混み合っていたはずだ。

初詣で賑わう甲山八幡神社

 

■年神を送り返す1月の行事

 さて、そこで初詣の意味である。
 お寺で正月の初めに行われる修正会(修正月会)は、過ぎた年の罪を懺悔し仏を讃えることで災害がなく実り豊かな一年になることを願うものである。
 これに対して神道では、正月はすべてのものが新たな生命力を得る時期と考える。神さまも同様で、新年の新鮮なエネルギーに満ちたお供えを受けてみずみずしい力を得られる。
 参拝者は一年間守っていただいたことを神に感謝し、この神の力を分け与えてもらうのである。
 

|とんど焼きの意味と多様性

 小正月(1月15日)頃に正月飾りを焼く行事を「とんど焼き」という。

 この行事は地域によって呼び名がさまざまだ。大きくとんど系と左義長(さぎちょう)系に分けられるが、とんど系にはドンド・ドンドヤキ・ドンドンヤキなど、左義長にはサイトヤキ・サギチョ・サギッチョなどのバリエーションがあり、さらに三九郎焼き・松焼き・ホッケンギョウ・オニビといったどちらの系統にも入らない呼び名もある。

とんどで焼くために積み上げられた正月飾り(あきる野市)

 書き初めをとんどで焼いて高く舞い上がったら習字が上達するといわれるのは、書き初めが神様とともに飛び上がったように見えるからかもしれない。 どうして呼び名が一定しないのか、とんどや左義長にどんな意味があるのかはっきりしない。また、付随して行われる儀礼(歌をうたって害鳥を追い払う仕草をする鳥追い、火で団子を焼く、積み上げた飾りの焼けようで収穫を占うなど)も地域によって違う。
 しかし、基本的には元日または大晦日の夜に訪れた年神を送り返す行事ということができる。お盆に祖先霊をを送り返すために送り火を焚くが、それに近いものといえよう。
 煤払いの箒もこの時に焼いていたというのも、箒に宿った邪気(邪鬼)あるいは邪鬼を払った神さまを霊界に帰すという意味があったのだろう。