「日本人の体質」を科学的に説き、「正しい健康法」を提唱している奥田昌子医師。彼女の著書は刊行されるや常にベストセラーとなり、いま最も注目されている内科医にして作家である。「日本人はこれまで一体どんな病気になり、何を食べてきたか」「長寿を実現するにはどんな食事が大事なのか」日本人誕生から今日までの「食と生活」の歴史を振り返り、日本人に合った正しい健康食の奥義を解き明かす、著者渾身の大河連載がスタート! 日本人を長寿にした、壮大な「食と健康」の大河ロマンをご堪能あれ。

 ■食糧の安定供給が可能になった弥生時代

 縄文時代のあと、紀元前300年から紀元後300年くらいまで、約600年にわたって続いたのが弥生時代です。有名な遺跡に佐賀県の吉野ヶ里遺跡があります。

 この時代に日本人の食生活に一大転機が訪れました。水田耕作が本格的に始まったことです。稲作は弥生時代の初期に九州で始まり、近畿をへて、弥生時代の終わりには関東にも広がりました。これにより木の実に代わって、米をはじめ、小麦、粟、稗などの穀物が主食になりました。当時は米を煮て、雑炊のようになったものを木製のスプーンで食べることが多かったようです。

 弥生時代の終わりごろに中国大陸で成立したとされる『魏志倭人伝』によると、当時の日本人は稲作をし、気候が温暖なので年中野菜を食べていました。まだ牛も馬もおらず、蚕を育てて質の良い絹布を作っていました。性格は折り目正しく、「大変長生きで、80歳あるいは100歳まで生きる」と書かれています。この記述を見る限り、子ども時代を無事に乗り超えた人は意外に長命だったと思われます。日本人が長寿だという記載は、5世紀前半に大陸で編纂された『後漢書』にも出てきます。

 時代がくだって古墳時代になると、米を蒸して食べるようになります。横浜市にある古墳時代の遺跡から、木の皮で編んだ弁当箱に入ったおにぎり8個が見つかったニュースは大きな話題になりました。ぐっと親しみがわきますね。古代の人は小川で手を洗い、現代の私たちと同じように木陰に腰をおろしておにぎりを食べたのでしょうか。

 穀物を食べるようになったことで、穀物を中心に、魚、肉、野菜などをおかずとして添える食事スタイルが確立されていきました。主食に副食を合わせる食事は、東アジアから東南アジアにかけて広がる稲作地帯の特徴とされています。

 

 欧米はどうかというと、米の代わりにパンを食べます。ですが、だからといってパンを主食ととらえているわけではないようです。日本人が、「このおかずがあるとご飯が進むね」と言うのに対し、欧米人は「パンが進むなあ」とは言いません。この違いが生まれた理由についてはのちほど考えます。

 稲作が広がり、収穫量が増えるにつれて日本の人口は増加の一途をたどりました。図2のグラフを見てください。変動はあるものの、縄文時代に全国で26万人程度だったのが、弥生時代には約60万人になったと推測されています。稲作が広がり、食料を安定供給できるようになったからでしょう。続く古墳時代には、灌漑技術の発達、農具の改良などを通じて農業の基盤が整備され、日本の人口は約540万人にもなりました。

図2 弥生時代に稲作が広がり、食料を安定供給できるようになったことで日本の人口が急増しました。

 稲作の他に、小豆、大豆、スイカ、カボチャ、瓜、桃、梅、柿、アンズなどの栽培、ならびに猪の飼育が始まったのも弥生時代です。鶏は縄文時代に大陸から伝わり、古くから養鶏が行われていました。ただし、目的は肉を取ることで、卵を食べる習慣はありませんでした。他の生きものの命のもとを丸ごと食べるのに抵抗があったからかもしれません。日本人が卵を食べるようになるのは、ずっと先、江戸時代に入ってからです。

 瀬戸内海沿岸を中心に製塩も行われるようになりました。しかし、食料がすっかり農作物に切り替わったわけではなく、縄文時代のように木の実や山菜を採取し、魚と貝を獲り、狩猟も続いていました。大陸との交流をきっかけに、日本人の食生活が豊かになったのです。

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