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野宿女子が問う、クリーン社会の代償

現在観測 第18回

管理が行き届いた空間は快適か

 公園のベンチも、現在、真ん中に仕切りのあるものがやたらと増えています。ひじ掛けを付けて便利になったふりをして、これなんか完全に「野宿者の排除」を目的としたものでありましょう。便利だよと親切ぶったり、おしゃれぶったり、アートぶったりしてさー。

一人がベンチを占有することなく快適に使えるように――。

 そう書くと、いいこと、必要なことのようにも思えてきます。でも、ほんとうでしょうか。多くの人は気にもとめないまま、じぶんたちの手間をはぶくという管理者の都合によって、多くのベンチは交換されているのではないかと思うのです。そうやって、知らぬ間に管理されていることに、わたしたちは慣れさせられてしまっているのではないかと思うのです。
 誰かともっと近寄りたくても、ひじ掛けのせいで近寄れません。誰も使っていないベンチへと疲れた人が辿り着いても、その人は寝られません。かつては譲り合いや交渉のために生まれていたかもしれない会話だって、なくなってしまいます。
 用意された快適さは、失われる豊かさと見合っているんだろうか。管理により多様性が失われた場所、それに慣れた人たちから、いつか排除されるのは、じぶんであるかもしれないのに……。
なんて暗い気持ちになりますが、見てください、この逞しい姿を!

これは東京都内の公園の、現在スタンダードなベンチです。

 こうやって器用に寝ている人を見ると、野宿サイドの人間は、とても嬉しくなります。
ただ、「なぜベンチに寝ようとするのか」という疑問も出てきます。そもそも「なぜベンチに座る」のでしょうか。

「そこにベンチがあるから」

 という答えはかっこいいのですが(って、そうでもないな……)、あるものを器用に利用するのと、無自覚に使わされているのは違う。だからもういっそ、ひじ掛け付きベンチなんかほっといて「地面に座り込んでしまえ! 寝転んでしまえ!」と、わたしは言いたい。

面倒くさいから、面白い。

 野宿をするとき、寝られるか寝られないかは、その場所の様子を見て「なんとなく」判断します。そして近隣の方に挨拶したり、酔っ払いやお巡りさんにのらくら対応したり、朝はラジオ体操に参加して、なんとなくその場に溶け込んだり……。
 お金を払ってホテルに泊まったらしなくて済む、そんな面倒くさいともいえる一つ一つの行為が、じつは野宿の面白さであったりするのです。なにをしていいか悪いかは、その場その場で、そこにいる人たちと決めさせてほしい。

面倒くさいことを、もっとしてゆくこと。

したたかに、逸脱してゆくこと。

 公共の場の変化を見ているとちょっと怖くなりますが、それに対抗するためにも、
「野宿やろう!」
と、強引にアピール。

 みなさまのご批判は恐ろしいのですが、びくびく終わらせていただきたいと思います。わいわいわい!

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かとう ちあき

1980年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒。在学中、就職活動はせずに旅を続けることを決意。現在もちょこちょこ旅に出かける。2004年、旅ミニコミ誌『野宿野郎』を創刊、編集長にして発行人を務める。が、2010年に第7号を刊行して以来、次は出ていない。著書に『野宿入門―ちょっと自由になる生き方』(草思社文庫)、『野宿もん』(徳間書店)、『あたらしい野宿(上)』(亜紀書房)、『バスに乗ってどこまでも 安くても楽しい旅のすすめ』(双葉社)がある。野宿野郎web http://nojukuyaro.net/


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