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世界的版画家・棟方志功が愛した奥津の自然

「画家」「芸術家」が作品を残した宿③

芸術家たちが好んだ宿は数あれど、自らの作品を残すほど愛した宿には、芸術家たちを惹きつける何かがあったのだろう。厳選した宿に残る作品と虜になった芸術家たちとの関係を紐解くコラム、第3回。
清らかな吉井川に沿って静かに佇む自然豊かな温泉地、奥津温泉。世界的版画作家がこよなく愛した温泉宿の魅力を探訪する。

画伯の秘めた恋の情熱
その足跡が残る思い出の地

 岡山県の最北部、山陰にも近い山あいに流れる吉井川の清らかな流れに沿って、情趣溢れる温泉町が奥津温泉である。
 この地で90年余りの歴史を持つ奥津荘は、奇跡の温泉と讃えられている。いわゆる源泉掛け流しの湯だが、そもそもその意味が違う。吉井川から湧き出る泉源の上になんと浴槽を作ってしまっているのだ。こんこんと湧き出る生まれたての温泉にいつでも浸かることができる、全国でも稀有な温泉として、全国の温泉ファン垂涎の宿でもある。

 さて、この温泉をこよなく愛した文人、偉人は数多くいるのだが、その一人が棟方志功である。
 当時、棟方志功は、奥津村より10㎞ほど北にある上斎原村(かみさいばらむら)出身の詩人、柳井通弘と東京で出会い、親交を深めていた。彼の故郷を訪ねた折に、この奥津温泉の湯に浸かりにきたという。1947〜1953年ごろまで、たびたびこの宿を訪れたという。館内には数多くの棟方作品が残されている。
「温泉に入って、お酒をたくさん召し上がって、そのままお泊りになったことが何度もあったようです」と奥津荘4代目当主の鈴木治彦さん。

 奥津の地がよほど気に入ったのか、今はもうないが、近くの河鹿園という温泉宿の主人、光永大佑氏と親しくなり、その宿の茶室の設計までしたそうだ。
 その縁で、鈴木さんの祖父、匡巳(ただみ)さんも、棟方志功と親しくなったという。匡巳さんは、志功の青森の自宅まで訪ねて行き、奥津荘のための作品を依頼した。快く引き受けてもらったその作品は、今も宿内に掛け軸として展示されている。
 当時は、肉や魚も今ほど多くは運べなかったので、吉井川で獲れた鯉を出したところ、志功はことのほか、その味を気に入ったそうだ。
「祖父に聞いたところ、先生は鯉こくがとくにお気に入りで、何度もお代わりして、ご飯も何度もお代わりされて、喜んで召し上がっておられたと聞いています」。
 その時に飲んだのが、今はもうないが地元の小宮山酒造の「豊栄」という地酒だった。現在は「日月(じつげつ)」という銘柄になっているそうだが、それをお燗にして、何杯も盃を空けたという。

 廊下にある展示スペースには鯉を描いた掛け軸が飾ってあるが、おそらく、お気に入りの鯉料理にちなんで、描いたのではないだろうか。
 こんなエピソードを聞いた後に、改めて作品を見ると、とても感慨深いものがある。

 

生まれたての湯に身も心も浸して

名泉鍵湯『奥津荘』こんこんと湧き出る大地からの恵み を心ゆくまで堪能できる、真の意味 での源泉かけ流しの温泉旅館。192 7年創業当時の面影を大切に守る。

 当時、志功はここから車で20分ほどにある津山で、ある女性と激しい恋に落ちたという。
 1952年の「美作路」という歌の1首に、その熱い思いが込められている。
 玄関を入ってすぐの衝立と、廊下の額には、それぞれふくよかな女性が観世音菩薩として描かれている。あくまでも想像だが、菩薩像はもしかするとその女性を思いつつ、創作したものなのかもしれない。
 奥津荘を訪れる者は誰しも、その「足元湧出」の湯に心を奪われてしまう。毎分247ℓも自墳する豊富な湯を、志功もこよなく愛したにちがいない。
 柔らかな絹のように体を包んでくれる生まれたての温泉に浸かりつつ、画伯の恋、画伯の作品に思いを馳せてみたい。

雑誌『一個人』2018年4月号より構成〉

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