抜群の交渉力で薩長同盟を成立させた幕末の英雄・坂本龍馬 鑑定で見えた新たな一面 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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抜群の交渉力で薩長同盟を成立させた幕末の英雄・坂本龍馬 鑑定で見えた新たな一面

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第35回 ~坂本龍馬~

○圧倒的な遊び心!遊び心60%!(傷官)

 遊び心は、生活に遊びを取り入れることが自然とでき、芸術面での才能がある星。中でも「傷官」は、芸術性が高く感情の起伏が激しい星。繊細な芸術家のイメージである。また、男性で持っていると、傷つきやすい面を持つ。また、「傷官」は頭のいい星でもあり、交渉能力が高く、弁が立つ。
 龍馬の交渉能力の高さについては誰もが認めるところだろう。偉業の一つとして、犬猿の仲だった、薩摩藩と長州藩を結び付けた政治的軍事的同盟、薩長同盟が挙げられる。当時、この二藩が手を組むとは誰もが予想しなかった。薩摩藩は開国路線を維持しつつ幕政改革を求めたのに対し、長州藩は激しい攘夷論を展開し、反幕体制を強めていた。幕府にとってテロリストともとれる行為を繰り返す長州藩を抑えようと、薩摩藩は長州藩を京都から追放している(蛤御門の変)。幕府から薩摩藩に対し、長州征伐に向かうよう命令も下っている。
 両者としては、もちろん戦争はしたくない。なぜならば、お金もかかるし、犠牲者が多く出るからだ。ましてや長州藩は、幕府ににらまれ、武器も買えない・・・窮地に立たされている状態だった。しかし、両者とも、幕府に改革を求めたいという点では一致している。龍馬はその両者の本音を読み取り、薩長が手を組んで幕府を倒せばいいのでは?と、薩摩藩の西郷隆盛に、長州藩の桂小五郎に提案すると同時に、隆盛に対しては「長州の桂はすごい人物だ」、小五郎に対しては「薩摩の西郷は素晴らしい人物だ」と吹き込んだ。

 とはいえ、いがみ合っていた両者がいきなり手を結べるわけもなく、まずは両者の利害関係を一致させようと、武器の調達ができず困っている長州藩には、龍馬の作った貿易会社、亀山社中を通じて薩摩藩から外国製の鉄砲7300挺を送り、米の不作で困っている薩摩藩には亀山社中を通じて長州藩から米を送っている。さらに、龍馬はお互いのメンツを保つために、薩摩藩側から同盟を持ちかけるように隆盛を説得した。こうして、薩長同盟が結ばれ、明治維新に拍車がかかっていった。
 龍馬のこのキレキレの交渉能力は、「傷官」が2つもあることの賜物だろうが、「傷官」は同時に傷つきやすくナイーブな星でもある。悩みも多かったろう。人の心の機微を敏感に感じられる繊細な人物だったことが予想される。

○知性30%(偏印、印綬)

 知性は何かを学ぶことが好きで、物事を論理的に捉えるのが得意。「偏印」は、知的好奇心が旺盛で、アイディアや発想力がある。個性派で放浪好きでもある。「印綬」は、学校の勉強がよくできて、幅広い知識を持っている。人を教えるのも好き。上記で述べた「傷官」とも相まって相当頭のよい人物だったのだろう。
 33年という短い人生の中で、多くの偉業を成し遂げた龍馬は一見、天才肌で行動派のように見えるかもしれないが、熟考を重ね、考えて考えた末に行動に移していたことが読み解ける。
 確かに、龍馬は将来を見据えていた。龍馬が死の数日前に記した「新政府綱領八策」。ここには日本を近代国家にするための様々な施策が記されている。「第一義 これからは広く有能な人材を募り朝廷を中心とした新制度を作ること」から始まり、憲法の規定、二院制の議会を設立、海軍と陸軍の充実等、まさに明治維新後の日本を見越したかのような施策が並ぶ。

○人脈10%(正財)

 人脈は、さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる星。中でも、「正財(せいざい)」は重要な人物を見抜いて強い信頼関係を築ける、真面目な星。結婚運の星でもある。
 隆盛や小五郎といったキーパーソンと強い信頼関係を築けるのは、龍馬がもともと持っている性格なのだろうか。
 また、龍馬の妻、おりょうとのエピソードは有名だ。おりょうは機転の利く女性だったそうで、寺田屋事件の際には、入浴中のおりょうが寺田屋が幕府の捕り方に取り囲まれていることに気付き、すぐさま風呂を出て着物も着ずに龍馬へ知らせたという。お蔭で龍馬は左手の指に傷を負ったに留まった。その後、2人は霧島に日本人初の新婚旅行に出かけているが、相当仲がよかったのだろう。京都市の武信稲荷神社の御神木、榎(えのき)は、2人を結び付けた「縁の木」として信仰されている。一説によると、おりょうは当時にしては相当扱いづらい女性だったそうだが、人目を憚らずおりょうを選ぶ辺り、結婚運を持っていたからだろうか。

○行動力0%

 鑑定の結果、意外にも「行動力」を持っていなかった。また、行動力は攻撃性にも繋がるが、これを持っていなかった龍馬は、戦うことが好きではなかったのだろうか。武力討幕派の薩摩藩を前に、あくまでも争いを避けようと奔走した。大政奉還後、龍馬が目指したのは、徳川将軍家を中心として諸公会議を開き、新しい政府を作って行こうというもの。武力によって討幕を行おうとする、薩摩藩を龍馬がなだめ、何とか抑えていた形だ。龍馬の死後、王政復古の大号令(クーデター)が起きている。

○自立心0%

 また、自立心の星も持っていなかった。少しわかるような気もするが…。
 龍馬はもともと過激な攘夷派であり、ペリーの黒船が浦賀に来航した際、父・八平に宛てた手紙では、「もし戦争になれば異国の首を討ち取って土佐へ帰ります」と攘夷思想を表していた。しかし、その後、河田小龍に世界の情勢を学び、世界と対等に付き合うことが必要だと教えられてすっかり感化され、海軍整備に全力を尽くすようになる。その後、出会ったのが、勝海舟だ。海舟とともに神戸海軍操練所を設立するも、反幕派の巣窟なのでは?と不信を抱かれ、すぐに閉鎖させられる。しかし龍馬は、「公的に海軍ができないのであれば自分で作ってしまおう」と、銃器の取引を行う商社「亀山社中」を立てた。このように、はじめは「外国人を打ち払え」という攘夷思想だったにも関わらず、世界を学んだことで海軍の重要性を実感し、最終的には自ら作り上げてしまった。一言で言うと「柔軟性がある」ということであるが、言い方を変えると、いい意味で強い自立心や信念がなかったともとれる。

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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