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バツイチだったノムさん。「女運があったとは思えない」とボヤキ節

野村の哲学ノート②

■2度の監督辞任。それでも。

 この日を境に、私たちは交際するようになった。それによって、私の人生はますます波乱万丈なものへと変わっていった。

 何しろ、沙知代がきっかけとなって、監督を2度も辞めることになったのである。

 1度目は、マスコミに大々的に報道された愛人問題であり、2度目は、2001年12月に脱税容疑で沙知代が逮捕されたことによる引責辞任だった。時期的に来シーズンも指揮を執ることが決まっていたものの、辞めることを余儀なくされた。

 ただ、拘留中に面会に行ったとき、脱税についての説明は何もなかったのだが、実は、沙知代の口から意外な言葉がこぼれた。

 それは「ごめんね」というひと言だった。出会いから50年近く経つが、謝られたことは後にも先にもこの1度しかない。

 ちなみに、感謝されたことも1度きりである。

 沙知代がボウリング用品の輸入販売会社の社長を務めていた頃、私は何度かこんなアドバイスをしていた。

「ボウリングブームは長く続かないから、適当な時期に辞めたほうがいい」

 確かに、当時の日本では、空前のボウリングブームを迎えていた。数多くのプロボウラーが人気を集め、ボウリング人口が一気に増え、ボウリング場もまた、全国各地に作られていった。しかし、一スポーツ選手の直感として、どうしても一般の人たちが熱中し続ける競技とは思えなかったのだ。

 案の定、ブームは去ってしまったが、沙知代はその前にボウリング関連の権利を売り、事なきを得た。

「あんた、いい勘してたわねえ。感謝してるわ」

 事業撤退のタイミングがよかったことを心から喜んでいたものだ。

 いずれにせよ、内助の功、縁の下の力持ち、女房役といった言葉は、沙知代には当てはまらない。圧倒的なプラス思考や自己中心的な発想で前に向かって突き進んでいく姿勢に、私は大いに翻弄され、時には足を引っ張られることもあったというわけだ。

 これが女性で失敗した2つ目のケースであり、60年以上前の占いの通りだと言っていいだろう。

「つくづく俺は女運がないな……」

 おかげで、私はよくそんなふうにボヤいている。

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野村 克也

のむら かつや

1935年、京都府生まれ。1954年にテスト生として南海ホークスに入団。1980年に45歳で現役を引退、解説者となる。1990年には、ヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。1999年から3年間、阪神タイガースの監督、2002年から社会人野球のシダックス監督、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。2010年に再び解説者となり、現在、多方面で活躍中。


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