南海ホークスをクビに。落ち込むノムさんを救った「なんとかなるわよ」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

南海ホークスをクビに。落ち込むノムさんを救った「なんとかなるわよ」

野村の哲学ノート③

■「なんとかなるわよ」に勇気づけられた

「ああ、厄年って本当にあるんだな……」
「これからどうやって生きていけばいいんだ、俺は。お先真っ暗だ……」

 マイナス思考の私は心の底からしょげまくり、自動車を運転して東名高速を走っているときも、ひとりで愚痴ばかりこぼしていた。

 そんなとき、沙知代が大きな声で口にしたのが、

「なんとかなるわよ」

 という言葉だったのである。

 後に、沙知代がそのときの心境について、

「ただ野球の仕事を失っただけなのに、『何よ、この男?』って思ったわよ」

 と話したことがあるのだが、野球に詳しくない身からしてみれば、私が築き上げてきた実績や名声などわからないし、興味もない。こうなってしまった以上、泣き言など言っている場合ではなく、

「とにかく自分が東京で頑張っていくしかない。そうすれば、絶対になんとかなる」

 という気持ちが強かったのだろう。実際、当時から顔が広かったこともあり、自分で仕事を見つけ、稼いでいく自信もあったのではないかと思う。

 だから、私にはあまり期待していなかったはずだ。ただ、「なんとかなるわよ」というプラス思考のひと言は、胸に激しく響いた。

「そうか。なんとかなるか。俺も一緒についていって、やれる限りのことをやってみるしかないな」

 と、勇気づけられた日のことを、今でも忘れられない。

 その後、私はどうなったのかというと、ありがたいことに再びユニフォームを着ることになった。

『野村の哲学ノート「なんとかなるわよ」』から構成)

KEYWORDS:

オススメ記事

野村 克也

のむら かつや

1935年、京都府生まれ。1954年にテスト生として南海ホークスに入団。1980年に45歳で現役を引退、解説者となる。1990年には、ヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。1999年から3年間、阪神タイガースの監督、2002年から社会人野球のシダックス監督、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。2010年に再び解説者となり、現在、多方面で活躍中。


この著者の記事一覧

RELATED BOOKS -関連書籍-