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南海ホークスをクビに。落ち込むノムさんを救った「なんとかなるわよ」

野村の哲学ノート③

1977年、指揮をとっていた南海ホークスから突然の解任。原因はサッチーこと故・野村沙知代さんとの交際スキャンダル。しかし、落ち込むノムさんを救ったのは他ならぬサッチーの言葉だった――。新刊『野村の哲学ノート「なんとかなるわよ」』から内容の一部を引用する。

■サッチーの圧倒的なプラス思考

写真/高橋亘

「なんとかなるわよ」

 これまでの人生で、私はこの言葉を何度となく間近で聞いてきた。

 そして、時には勇気づけられ、時には救われてきた。

「なんとかなるわよ」

 これは亡き妻である沙知代の口癖であり、「なんとかなるわよ」が「大丈夫よ」に変わることもあったが、いずれにせよ、その根底にあったのは圧倒的なプラス思考だった。

 私が極度のマイナス思考の人間なので、近くにいて、なおさらそう感じたのかもしれない。ただ、どんなときも「地球は自分中心に回っている」というぐらいの姿勢で、弱気なところは一切見せず、前を向いて我が道を突き進んでいく。あれほどまでにプラス思考の人間を、私はあまり見たことがない。

 ピッチャーはプラス思考、キャッチャーはマイナス思考であるべきというのが私の持論だが、沙知代は間違いなくピッチャータイプだった。野球をしていたら、いいピッチャーになっていたかもしれない。そう考えると、私はグラウンドでもキャッチャー、家に帰ってきてもキャッチャーを務めていたというわけだ。

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野村 克也

のむら かつや

1935年、京都府生まれ。1954年にテスト生として南海ホークスに入団。1980年に45歳で現役を引退、解説者となる。1990年には、ヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。1999年から3年間、阪神タイガースの監督、2002年から社会人野球のシダックス監督、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。2010年に再び解説者となり、現在、多方面で活躍中。


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