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まるで“要塞”… 石田三成に暗殺されかけた教如が身を隠したお寺

鈴木輝一郎 戦国武将の史跡を巡る 第46回

岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!

 慶長5年(1600)8月、本願寺教如(後年の東本願寺門主。このときは本願寺の門跡の地位を弟の准如に譲っていました)は徳川家康との会談を終え、京都へ帰還しようとしていました。
 徳川家康との会談内容は不明ですが、元・本願寺の門跡という立場から、「本願寺(一向宗・浄土真宗)は徳川を支持しますよ」ってアピールだったのは想像にかたくありません。
 教如はかつて石山本願寺の一向一揆のとき、最後まで織田信長に抵抗した経験があります。僧侶よりも戦国武将だったらもっと後世に名を残したかな? なんて思いますね。

 それはさておき。
 池田町春日六合の遍光寺。

 

 石田三成は教如を京都にはいる前に暗殺しようとくわだてました。教如は美濃大垣・西円寺の住職を身代わりにたてて中山道をゆかせ、自身は国見峠をこえる道を選びます。
 ところが、身代わりに立てた西円寺の住職が石田三成軍に逮捕・殺害され、そして偽物だとばれてしまいます。

 石田軍が迫ってくることを知って、教如たちは急ぎます。その途中で立ち寄ったのが遍光寺。
 写真ではわかりにくいんですが、ここは県道32号線からみると絶壁の上に建っている、要塞のようなお寺です。
 戦国の城というと、にわかづくりの砦のようなところが多い。むしろお寺のほうが堀だったり絶壁の上に建っていたりと、合戦に備えている感じがします。

 

 そこからさらに県道32号線を進むと「教如の里」という、灯明ふうの道標にあたります。途中、春日小などの道で分岐してわかりにくいので、事前に下調べが必要です。
 Googleで下記の座標で検索をかけると出てくるので、コピペするといいでしょう。
 35.481353,136.445994

 

 Googleストリートビューでみると雪が積もっています。このあたりは岐阜でも雪が深い地域なんで、訪問には季節を選んでください。

 ここから教如は一旦とどまり、西蔵寺で様子をみます。
 現在の西蔵寺はまったくふつうの民家で、写真を撮るのが気がひけたので看板だけ。
 とはいえ、由緒あるお寺で、教如はここで水に写った自分の姿を描いて残した、とのこと。

 

 んと、3回で終わるつもりだったんですけど、けっこう長くなってますね。
 このあと、教如はさらに過酷な国見峠ごえをするのですが、それはまた次回。

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鈴木 輝一郎

すずき きいちろう

作家

1960年岐阜県生まれ。小説家。歴史小説『浅井長政正伝』『戦国の凰 お市の方』など著書多数。2008年には著作が50冊に達した。

日本推理作家協会・日本文藝家協会・日本冒険作家クラブ会員。


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