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裏関ヶ原・本願寺教如危機一髪・関ヶ原東側編

鈴木輝一郎 戦国武将の史跡を巡る 第44回

岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!

 今回はお寺の写真ばかりです、念のため。
 関ヶ原の戦いのサイドストーリー、って奴です。
 教如上人って知ってますか? 織田信長と戦った一向一揆のいちばん偉い人・本願寺顕如の息子です。一向宗(浄土真宗&真宗大谷派)の僧侶は有髪俗体・肉食妻帯を許されているんで、息子がいるんですな。

 さて、関ヶ原の戦いの話。
 徳川家康は京都の伏見城から上杉討伐のために東に向かいます。このときの小山会議で徳川が反転して関ヶ原に戻った話は有名ですね。

 さて、教如上人もこのとき徳川家康に従って小山にむかいます。浄土真宗の門主の家系の人が家康に同行する、ってことは、「浄土真宗(一向宗)あげて徳川を支持しますよ」ってのを意味します。

 これに怒った石田三成は、本願寺教如の暗殺指令をだします。
 教如上人は小山会議で徳川家康と会談し、一向宗の徳川支持を表明したあと京都に戻ろうと美濃入りします。
 長良川をわたって安八郡森部村にはいるんですが、ここで石田三成軍の襲撃を受けます。

 

 教如と信徒たちは安八郡森部村の光顕寺に避難します。
 このときがいちばん危なかったらしい。教如は覚悟し、本堂の裏の引き戸に、小刀で辞世の一句を刻んだとのこと。その戸板は現存しているんですが、写真は撮れなかったのでパス。

「三成は本気で暗殺する気だ」とわかった一行は、本気で陸路、京都に向かいます。とはいっても、まわりは誰が敵で誰が味方かわからない。ちょっとずつちょっとずつ、さぐりながら移動してゆきます。

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鈴木 輝一郎

すずき きいちろう

作家

1960年岐阜県生まれ。小説家。歴史小説『浅井長政正伝』『戦国の凰 お市の方』など著書多数。2008年には著作が50冊に達した。

日本推理作家協会・日本文藝家協会・日本冒険作家クラブ会員。


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