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川崎F・中村憲剛が忘れられなかった8年前の“あの試合”

中村憲剛選手12月毎日更新 Q28 プロになってから忘れられない試合はありますか?

今月3日、悲願のJリーグ初優勝を果たした川崎フロンターレの中村憲剛選手。その長いキャリアの中で「忘れられない試合」とは? お話をお聞きしました。

試合に勝って、優勝争いで敗れた2009年最終節

 たくさんありますよ。何せ、出場した公式戦の数が600試合に近づいているので(笑)。今年の天皇杯決勝もそうですし、チャンピオンシップ準決勝もそうですし……やっぱり、今までは(タイトルを)逃した試合になりますよね。

 それこそ2009年のJ1最終節(対柏レイソル戦)はずっと記憶に残っていました。リーグ優勝が懸かっていた試合で、僕ら川崎フロンターレはアウェイで勝ったけど(3−2)、優勝を争っていた鹿島アントラーズも試合に勝ったために、優勝することができなかった。

 あの試合は本当に忘れられなかったですね。試合に勝ったのに、全然うれしくないんですよ。ああいう感情を味わったのは初めてのことでした。人生を振り返ってみても、なかなかないですよね。だいたい悔しい記憶は負けた試合で残るものですが、勝ったのに悔しい記憶が残っている試合というのは……。

 ただ、それも今回、J1で優勝したことで、僕の記憶も塗り変わりますよね。
 これからは忘れられない試合を聞かれれば、優勝を決めたJ1最終節の大宮アルディージャ戦になる。これまで、アンケートなどで「一番うれしかった試合は?」と聞かれても、本当のところは書けなかったんですよ。どこか無理矢理ひねり出しているところがありました。もちろん勝った試合はどれもうれしいんですけど、最終的に考えると、何にもつながっていない。決して何かを成し得たわけではなかったですからね。だから今回、初めて堂々と、「うれしかった試合は?」「忘れられない試合は?」と聞かれて、優勝を決めた大宮戦と書ける。それが本当にうれしいですよね。

 ずっと思い描いていたんです。自分の中のベストマッチに、何かを達成したり、つかんだ試合を選べるようになる日のことを。

 
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中村 憲剛

なかむら けんご

プロサッカー選手。川崎フロンターレ所属(背番号14)。

1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。6歳のときに府ロクサッカークラブでサッカーを始め、小金井第二中学校、都立久留米高校、中央大学を経て、2003年に川崎フロンターレに加入。2016年、歴代最年長の36歳でJリーグアウォーズ最優秀選手賞を獲得。プロ15年目を迎えた2017年現在も、チームの中心選手として活躍中。


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