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北条氏五代の墓もある箱根湯本の早雲寺へ

季節と時節でつづる戦国おりおり第319回

小田原攻め②

 小田原城のお次は箱根の温泉界隈へ。お目当ては箱根湯本の早雲寺にある北条氏五代の墓所です。早雲寺は小田原攻めで秀吉が一時的に本陣として用いられ、石垣山城を築いて移るときに焼き払われてしまいますが、現在そんな過去は無かったかのように、通りから一歩奥に入った境内な箱根へ行き来する車のエンジン音さえも届かず静かな時が流れています。再建は江戸時代初期。

 

 五代の墓は、子孫によって江戸時代前期に建てられた供養塔です。
 この他、有名なところで連歌師の宗祇のお墓もあります。

 

 宗祇はこの箱根湯本の地で没しており、静岡県の定輪寺にもお墓がありますが、これは弟子の宗長らが宗祇の亡骸を担いで箱根越えして富士山麓の定輪寺まで運び、そこで葬ったものということで、早雲寺の方はこれも供養塔だそうです。そばに弟子の宗長のお墓もありました。

 そして、これは予備知識も無く当日びっくりしたのですが――

 

 これは今大路道三玄鑑といいまして、戦国時代に名医として鳴らし天皇や大名の治療にあたった曲直瀬道三正盛の孫(父の道三玄朔は正盛の養子)にあたる人物です。江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の侍医でしたが、秀忠に従って上洛した寛永3年(1626)、秀忠正室お江発病の報を受け急遽江戸に戻る途中、箱根湯本で急病となりあっけなく無くなってしまいました。玄鑑の治療を受けられなかったお江も彼の死の4日前にみまかっており、秀忠にとってはふんだりけったりというわけです。

 

 最後は小田原駅前の早雲像をパシャリ。良い旅でした。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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