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老いは「しばり」から解放されるチャンス

頭の中で「金」をのさばらせない 60歳からの「しばられない」生き方①

頭のなかで「金」をのさばらせない

 お金にほんとうにしばられているのは、あれが欲しい、これも欲しいと思い、そのことに我慢ができない人間である。それを手に入れることができない自分はみじめだ、と思う人間のことである。金があることを鼻にかける人間もおなじである。十分にお金があるのに、もっとお金が欲しいと思って詐欺にひっかかるのはその手合いである。金がない人間は詐欺にかかりようがない。

 最悪なのは、遊ぶ金欲しさに犯罪に手を染める輩である。かれらの頭は「お金」に支配されているのだ。お金の呪縛から解き放たれれば、世の犯罪の大半はなくなるはずである。お金があれば幸せになれる、なければ不幸だ、というのは金にしばられているのである。

 金がないのは(程度にもよるが)けっして不幸ではない。ただの貧乏である。

 わたしは気楽に、お金にしばられないこと、などといっているが、高齢者は、家族の情愛よりもお金が大事、という人のほうが多いらしい。

 現実に自分の生活に追われているというより(そういう人もいるだろうが)、将来の安心代が欲しいということなのだろうと思う。これはわかる。お金があって一番いいことは、お金の心配をせずにすむこと、といわれる。まあそのとおりであろう。

 だが一般の人間にとって、そんなことは無理である。だったら、不安そのものをべつの方法で消すしかない。

 わたしもお金が欲しい。しかし、むやみやたらに欲しいわけではない。もともと衣食住にほぼ興味がない。いいかえると、自分が気に入っているものが最小限あればそれで満足である。スニーカー一足、サンダル一足あれば5年は大丈夫である。食ならランチは800円まで、夕食は1000円以内でいける。酒代は不要。タバコ代は必要。あとは年に二回ほどの国内ひとり旅ができて、コーヒー代と本代。極端にいえば、これがわたしのなんとも安上がりのモノの価値観である。

 とりあえず、ここ数年、必要最小限のお金があればいい。その数年が過ぎれば、さらにその先の数年。その数年ごと、とりあえず生き延びられればそれで十分である。金で健康と寿命は買えない。だから人は長寿だけは負けないぞ、と思うのだろうか。

 わたしは、頭のなかで「金」をのさばらせない。

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勢古 浩爾

せこ こうじ

1947 年、大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に入社、 34年間勤続し、2006年に退職。以後、執筆活動に専念。 著書に『いやな世の中』(ベスト新書)』、『まれに見るバカ』(洋泉社・新書y)、『自分をつくるための読書術』(筑摩書房)、『定年後のリアル』(草思社文庫)シリーズ、『ウソつきの国』(ミシマ社)など多数。


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