能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【後編】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【後編】

ぶらり大人の廃線旅 第22回

蛸島駅の草むらの中で線路は終わる

 このあたりから先は一部が道路に転用されて跡形もない区間も多い。珠洲市は飯田町・正院町・宝立町(鵜飼など)の3町と能登線の終点である蛸島村ほか5村が昭和29年(1954)に合併した際に、所属する珠洲郡の名を採用して市名としたものだが、その中心的な集落が飯田である。珠洲市役所も先ほどの珠洲飯田駅が最寄りだったが、急行も停まる中心駅はひとつ先の珠洲駅だった。廃止後も駅舎はしばらく「奥能登すずなり市場」として活用されていたが、その後は解体されて敷地を拡張、「道の駅すずなり」にリフォームしている。

 あと2駅、鉄道の距離で3.6キロ走れば終点・蛸島駅である。この間に痕跡はあったのかもしれないが、レンタカー返却の時間の都合もあるので、正院駅跡も含めて探訪はまたの機会にしよう。それでも蛸島駅の鉄筋コンクリート駅舎は確認した。片側1面のホームも他の駅と同様にまだ使えそうな状態である。昭和60年(1985)に1日12往復あった列車のうち半数は珠洲止まりで、ここまで来る列車は6往復だけであった。

終点の蛸島駅。

蛸島駅のプラットホームの先は夏草が生い茂るのみ。

 さすがに能登半島の最東端も近く、今回も穴水からレンタカーで駅に立ち寄りつつたどって約6時間。印象としてはとにかく「駅舎が多く残る廃線」であった。復活を要望する動きもあるようなので、これに関連するのかもしれないが、日本のローカル鉄道に対する根本的な政策が変わらない限り無理な話だろう。

 思えば大正11年(1922)の改正鉄道敷設法に「穴水ヨリ飯田(珠洲)ニ至ル鉄道」として明記(後に飯田~蛸島間を追加)されてから全通まで42年の歳月が経過したが、全通を果たしてから津々浦々に自動車が行き渡るまであまり時間はかからなかった。そのライバルたるクルマで沿線を走り抜けてみて、改めて道路交通に依存する地方交通を実感することにもなった。

 

 

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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