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連合国が恐れたドイツ軍の潜水艦を“分捕った”、アメリカ軍ダニエル・ギャラリー大佐

オムニバス・Uボート物語 深海の灰色狼、敵艦船を撃滅せよ! 第11回

深海の灰色狼。第二次世界大戦で大西洋において連合国側を戦慄させたドイツ海軍の潜水艦「Uボート」にまつわる物語をオムニバス連載で紹介する。

鹵獲に成功したU505に翻るスター・スパングルド・バナーとドイツ海軍旗をバックにたたずむダニエル・ギャラリー大佐。

U505の数奇な運命:その男、ギャラリー

 1944年5月15日、アメリカ海軍の22.3対潜機動部隊はノーフォークを抜錨した。旗艦は、実に50隻が量産されたカサブランカ級護衛空母の6番艦ガダルカナルで、今回の戦闘航海では第4護衛駆逐艦戦隊の5隻、ピルスベリー、ポープ、フラハティ、チャタレイン、ジェンクスが隷下にあった。
 同対潜機動部隊の司令は、ガダルカナル艦長ダニエル・ギャラリー大佐が兼務していた。出撃前の作戦会議の席上、彼は各護衛駆逐艦の艦長に対し、今回の戦闘航海で機会あらばUボートの鹵獲を試みることを告げた。最新の戦闘報告では、損傷を受けて浮上したUボートの乗組員がとことん戦わずに自艦を自沈させて退艦するケースが間々起きており、実被害による沈没の危機よりも怖気づいての艦の放棄が多いのではないかと予想されたからだった。

 かくして22.3対潜機動部隊は事前情報に基づき約2週間、ケープ・ヴェルデ諸島沖でUボートを捜索したが徒労に終わった。ガダルカナルの機関長アール・トロシーノ中佐は燃料不足を案じてギャラリーに意見具申したが、彼はぎりぎりまで捜索を続行。だがUボートは探知できず、6月3日、ついに針路をカサブランカに向けた。ところが翌4日1109時、吉報が舞い込んだ。
「チャタレインよりガダルカナルへ。われUボートと接触せり!」

 

 そこでギャラリーは、ガダルカナル搭載の第8混成航空団のワイルドキャット戦闘機2機を至急チャタレインの支援に向かわせ、さらに増援機も発艦させた。そして彼はパイロットたちにこう言い渡した。
「爆雷や誘導魚雷で沈めるなよ。機銃掃射で制圧しろ。なんとか分捕りたいんだ」
「ピルスベリーに告ぐ。ジェンクスとともにチャタレインの応援に向かえ。なお、現場指揮権はピルスベリーに付与する」

 一方、U505では潜望鏡をのぞくランゲが落ち着いた声で告げる。
「敵護衛駆逐艦3隻、まっすぐこちらに。上空には敵機数機を視認」

 敵の最初の攻撃で浮上不可能な損傷を被ってしまうと危険なので、第一撃を受けるまではすぐに浮上できる浅深度を維持し、それで無事なら深く潜行する腹積もりだ。

「敵潜水艦とおぼしき接触を得る。われ、攻撃を開始」
 チャタレイン艦長ダドレー・ノックス少佐は、ギャラリーに報告するとヘッジホッグを投射。これは24発の小型対潜弾がパターン状に一斉投射される対潜兵器で、1発でも起爆すれば全弾が誘爆するが、逆に1発も爆発しなければ全弾が爆発しない。爆発で海中が攪乱されるとソーナーやハイドロフォーンが一時使用不能となるので、命中弾がなかった場合はそのまま捜索が続けられるようにするための配慮である。

 かくして、運命の時計の針が回り出した。 

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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