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鉄道がなく、川口市に吸収された過去。「鳩ヶ谷」のモヤモヤする歴史

埼玉地名の由来を歩く⑦

全国5位730万人もの人口を抱える埼玉県の歴史を地名で紐解く。地名の由来シリーズ最新刊『埼玉地名の由来』から、著者・谷川彰英が川口の地名の由来を歩く。

街道沿いに栄えた鳩ヶ谷宿

 川口市を語るのにもう一つ欠かせないのが、「鳩ヶ谷(はとがや)市」との合併問題である。平成の大合併により平成23年(2011)川口市は鳩ヶ谷市を編入合併して新生川口市になった。人口約60万という大都市に発展し、埼玉県下ではさいたま市に次ぐ県内第二位の位置にある。

 全国的に見ても政令指定都市を除いた市の中では、千葉県船橋市、鹿児島県鹿児島市に次ぐ第三位の人口を誇っている。歴史的に見れば、川口も鳩ヶ谷も日光御成道の宿場として栄えたのだが、現在の川口市には宿場の跡は希薄で、一方の鳩ヶ谷は今でも街道筋の風情を多く残している。

▲鳩ヶ谷宿の風情

 面白いことに、この鳩ヶ谷地区はかつて川口市に編入され、川口市の一部になっていた時期がある。そこを簡単に説明しよう。

 明治22年(1889)の町村制の施行により、全国的統廃合が行われたが、旧来あった「鳩ヶ谷町」と「浦寺(うらでら)村」が合併して「鳩ヶ谷町」となった。ところが昭和15年(1940)に鳩ヶ谷町は川口市に編入されることになる。

 戦後になって昭和25年(1950)川口市から独立し、再び「鳩ヶ谷町」に戻ることになった。理由は定かではない。その後昭和42年(1967)に「鳩ヶ谷市」になったものの、前述のように平成の大合併で再び川口市に編入されることになった。鳩ヶ谷市は編入時の人口が6万1千という規模で、財政的に運用が難しいということがあったのだろうと考えられている。

 従来鳩ヶ谷市という市でありながら、鉄道が通っていなかったという現実もあった。しかし、平成13年(2001)に開業した埼玉高速鉄道によって「鳩ヶ谷駅」「南鳩ヶ谷駅」の二つの駅が開業した。

 鳩ヶ谷駅を降りると言っても、実は地下を走っているので駅を出て地上に上がるのだが、それはともあれ駅から東に10分ほど歩くと旧日光御成道に出る。

 いかにも古い街道筋といった風情がある。坂を上るともう鳩ヶ谷宿の跡だが、その手前に埼玉県では有名な「見沼代(みぬまだい)用水」が流れている。これは享保13年(1728)に完成した農業用水で、行田市の下中条から利根川の水を引き込んで見沼地方に流したものである。鳩ヶ谷宿の街道に架かる橋を「吹上(ふきあげ)橋」と呼んでいる。

 坂道にさしかかった右側に昔は本陣があったが、昭和の初期に駅をはさんで反対側にある真光寺という曹洞宗のお寺の本堂として移築されたのだという

▲本陣の建物(真光寺本堂)

 最後に「鳩ケ谷」という地名の由来について。「○○ヶ谷」という地名は「世田谷」「熊谷」「越谷」などのように、関東にはどこにも見られる地名で、地形の「谷」(ヤ、ヤツ)を指している。

 これは疑いのないところ。ただし、読み方は「ハトガヤ」「ハトガイ」と定まってはいない。

 問題は「鳩」という文字だが、『和名抄』にある武蔵国足立郡発度(はっと)郷がルーツであるという説が強い。おそらくその解釈でいいであろう。また、窪地を意味する「ホト」が訛ったとする説もある。

『埼玉地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)り構成〉

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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  • 2017.08.09