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部下を救って自分は捕虜に……ドイツ海軍の紳士オットー・クレッチマー

オムニバス・Uボート物語 深海の灰色狼、敵艦船を撃滅せよ! 第8回

深海の灰色狼。第二次世界大戦で大西洋において連合国側を戦慄させたドイツ海軍の潜水艦「Uボート」にまつわる物語をオムニバス連載で紹介する。

「静かなるオットー」の渾名で知られたオットー・クレッチマー。

静かなるオットー

 オットー・クレッチマーは第二次大戦におけるもっとも著名なUボート・エースのひとりだ。1912年5月1日にレグニツァで生まれ、1930年に海軍兵学校に入校。しばらく水上艦に勤務したが、1936年にUボート部隊へと転任。これが、のちの彼の運命を決めることとなった。

 まずU35の先任将校としてスペイン内戦に際し哨戒任務に出動。その後、第二次大戦勃発直後にU23の艦長に着任した。クレッチマーはこのU23でイギリスの駆逐艦を撃沈しているが、当時、潜水艦が天敵の駆逐艦を撃沈するというのは、ネズミがネコを斃すようなもので快挙とされており、彼のUボート艦長としての並々ならぬ才能をうかがわせる。

 1940年4月、クレッチマーはU99の艦長に異動した。そして彼は同艦を手足のように巧みに操ってさまざまな戦法や戦技を編み出して行く。例えば、夜間雷撃技術の向上や、魚雷1本で敵艦1隻を撃沈する戦技などは、彼がU99を指揮し始めた初期に考えたものだった。特にUボートの魚雷搭載数は限られているので、正確な照準で1隻を撃沈するのに1本の魚雷しか使わない彼の手法は高く評価され、「ワン・トーピード・ワン・シップ(1魚雷1隻撃沈)」と称された。

 

 またクレッチマーは「静かなるオットー」の渾名でも知られた。その理由は、敵の対潜艦艇のハイドロフォーンで音を聞かれないよう、主機の出力を落として機械音を減少させ、乗組員に静寂を守らせる無音潜航を得意としたことに加えて、国策プロパガンダには協力しなかったためとも言われている。

 既述したような大胆不敵な護衛スクリーン突破戦法などを駆使して撃沈トン数を稼ぐクレッチマーだったが、1941年3月17日、コンヴォイHX112を攻撃中にイギリス駆逐艦ウォーカーの攻撃を受け、絶体絶命の状況に追い込まれた。そこで彼は部下の乗組員たちを救うべく緊急浮上して彼らが脱出したあとにU99を自沈させた。彼のこの行動により、全43名の乗組員のうち40名が助かっている。

 こうしてクレッチマーはイギリス軍の捕虜になったが、不名誉な降伏でイギリス軍に鹵獲されてしまったU570の先任士官を、収容所内で内密に開いた軍事法廷で臆病の罪で裁くといったこともした。しかし一方で、部下の命を救ったことでもわかるように、蛮勇の武人というよりも、まさに「静かなるオットー」の渾名に相応しい、シーマンシップに溢れた軍人紳士であったと伝えられる。

 なお、クレッチマーがUボートで戦った3年間の総撃沈トン数を超えるUボート・エースはついに現れなかった。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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