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白人至上主義をめぐる衝突。そもそもリー将軍は人種差別の象徴なのか?

トランプによる「リー将軍」でゆがめられたもの

南北戦争と奴隷制度

 開戦当初、北部、南部のどちらもまとまった兵力を準備していたわけではなかった。だが、人口や国力には大きな差があり、最終的に北軍が約156万人の兵力を動員したのに対し、南軍の動員兵力は約90万人に留まった。それでも、当時としては空前の大規模動員であり、南北戦争は史上初の「総力戦」となった。

 兵力に差があるとはいえ、当時の軍では士官の多くが南部出身であったし、映画『風と共に去りぬ』の冒頭で見られるような紳士的、貴族的文化と尚武の気風を尊ぶ南部人の団結と士気は高かった。リー将軍は南部の武人を代表する、紳士的で高潔な英雄として尊敬されていたのである。

 北部の首都ワシントンDCと南部の首都ヴァージニア州リッチモンドの間の距離は近く、互いに相手の首都へ侵攻する東部戦線が主戦場の一つとなった。緒戦の指揮を執り北軍の侵攻に勝利したリー将軍は、形勢逆転のために北部へ侵攻する。この時、最大の激戦となった「ゲティスバーグの戦い」が勃発した。

 ゲティスバーグ近郊の丘陵地に強固な陣地を構築した約9万の北軍に対して、約7万6千の兵力で突撃を繰り返した南軍は、北軍に約2万3千の死傷者を出しながらも、それを上回る約2万8千の死傷者を出し、南軍の侵攻は食い止められた。この間、西部戦線ではグラント将軍率いる北軍が南部の深くまで一気に侵攻し、北軍の優勢が決定的なものとなった。

 開戦から4年後、ヴァージニア州アポマトックスでリー将軍が降伏したことにより、南北戦争は終結する。戦死者は、北軍が約36万人、南軍が約28万8千人とされているが、第2次世界大戦におけるアメリカ軍の戦死者が約31万8千人だったことを考えると、南北戦争がいかに激しい戦いだったかがわかるだろう。

 南北戦争は奴隷制の是非を争う戦いでもあったが、それは戦争の要因の一面に過ぎない。

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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