ノンフィクション作家、谷川彰英が名古屋をたどる。寺院の数が日本一多い愛知県。『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より、名古屋の街並みの魅力を紹介する。

「瀬戸もの」といえば、焼き物、焼き物といえば「瀬戸もの」 

 昭和30年(1955)に出された『やきものの町―瀬戸―』 (岩波写真文庫)という本 が復刻されている。その冒頭に次のような文章が載せられている。

 陶磁器のことを京阪以西では「唐津もの」といい、それより東では「瀬戸もの」とよぶ。もとは、美濃あたりで焼かれた黄瀬戸、志野、織部などの茶器を「瀬戸もの」と呼んだのがその起りである。利休がいいはじめたのだという説もある。今では産地の如何にかかわらず、すべてのやきもの類がその名で呼ばれる。

 現在、瀬戸は日本の陶磁器の四割を生産する。瀬戸を含む愛知岐阜両県の産額は全国の7割に当る。日本の半分の地域で、陶磁器が瀬戸ものとよばれるのも、それは至極当然といってよい。瀬戸は日本でやきものの出るいろいろな土地の中でも歴史が最も古く、古今の名工による名品も少なくない。

 私は長野県に生まれ育ったので、小さいころから「瀬戸もの」といえば、焼き物、焼き物といえば「瀬戸もの」であった。それほど、 「瀬戸もの」はポピュラーであったし、現実に瀬戸もののない生活は全く考えられない。「瀬戸もの」は日本人に偉大な貢献をしてきたのである。

 瀬戸市に行って聞いてみると、どの人も「瀬戸は名古屋ではありません」と、かなりはっきりした口調で答えてくださった。これはちょっと意外ではあった。確かに20kmほど離れてはいるが、今や完全に名古屋通勤圏内である。にもかかわらず、名古屋ではないと言い切る背景には、 「瀬戸」は全国どこでも知られているという自負心があるのであろう。

 名古屋の都心部から一本で尾張瀬戸駅まではわずか30分足らずである。瀬戸には何度か足を運んだことがあるが、町の中央を流れる瀬戸川を挟んで小高い山が連なっている。

「瀬戸」というのは、川間の谷が狭くなっているところ、あるいは水路の門が狭くなったところを指す地名である。瀬戸市の場合はもちろん前者で、川を挟んで谷が狭くなっているところが特徴だ。 

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