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あやふやな「桶狭間の戦い」。実際に当地を歩いて正解を示す!

名古屋地名の由来を歩く

『信長公記』にみる桶狭間の由来

 ここに「桶狭間という所は狭く入り組んで」とあるのが、何よりも「桶狭間」の地名の由来である。

「狭間」というのは「迫間」「間」とも表記するが、要するに「物と物との間の狭くなったところ」を意味し、多くは「谷あい」「谷間」を指す一般名詞である。

 問題は「桶」である。これを「桶」になぞらえて「桶のような地形」を指していると考え たら、大きな誤りを犯すことになる。「桶」は単に漢字を当てはめただけなので、要注意だ。

「オケ」はもともと「ホケ」であったと考えられる。「ホケ」「ホキ」「ボケ」など全国どこにでもある地名だが、これは「崖」の意味である。漢字としては「法木」「歩危」などと書くが、漢字には意味はない。

 そう考えてくると、「桶狭間」は「崖のある狭い谷間」という意味になる。『有松町史』にはいろいろ書かれているが、つまるところ、この説が正しいと断定してよい。

 実際の戦闘が行われたのは、「中京競馬場前駅」の近くの「桶狭間古戦場伝説地」ではなく、その南側の山の方であったらしい。

 確かにこの辺は今の名鉄が走っている沿線がずっと低地になっており、その両側に小高い山々が続いている。その意味で、ここは立派に「桶狭間」だったのである。

〈周辺ガイド〉

戦人塚:名鉄名古屋本線・前後駅から北500mの丘の中腹にある。桶狭間の戦いの戦死者は、今川軍2500人、織田軍830人と伝えられているが、この戦人塚には、そのうちの2500余名の霊が眠っている。

『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より構成〉

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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  • 谷川 彰英
  • 2011.10.08