第31回:「動物園 無意識 人の本質」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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第31回:「動物園 無意識 人の本質」

 

<第31回>

4月×日
【動物園  無意識  人の本質】 

弁護士に相談しようかと思うほどに暇だったので、ひとりで動物園に出掛けた。

ゴールデンウイークの動物園内は、カップルや家族連れで賑わっていた。その中にひとり、中肉中背の、僕。ティッシュと一緒に洗ってしまったパーカーを着た男がコアラやウォンバットなどを眺めながら「へへ、珍獣だ…」などとひとりごとを言っているのである。どっちが珍獣かわかったものではない。

気配を消しながら、園内をうろつく。
ゾウやトラなどといったスター性のあるアニマルはなるべくじっくり時間をかけて見物する。タヌキや、なんかただ大きくて汚いだけのシカなどといったオーラゼロ、将来性もゼロのアニマルに関しては8秒くらいしか見物しない。目が合っても会釈すらしない。
そんな、大物に媚びへつらい、若手に対してゴミを見るかのような瞳を浮かべるテレビ局のプロデューサーのごとき傲慢ぶりを発揮しながら動物をウォッチしていく。
動物園において、ひとりは、楽である。勝手気ままに歩くことができる。

ひとりで動物を眺めていると、他の人々の動物に対するコメントが次々と耳に飛び込んでくる。別に耳を澄ませているわけではないのだが、ひとりでいるため、どうしても他人の会話を鼓膜がキャッチしてしまう。
そして、あることに気がついた。

「人は、動物園で、必要以上に動物をディスる」。

たとえば、オランウータン舎の前で、カップルがこんな会話を交わしていた。

「見て、あのボロボロの毛」
「本当だ。ホームレスみたいだね」

見ず知らずの類人猿に対して、なんてことを言うのであろうか。

フラミンゴ舎の前では、親子がこんな会話を交わしていた。

「お父さん、ここ臭い」
「臭いね。ここにだけは、住みたくないね」

別にフラミンゴが「ここに住んでくれ」と頼んでいるわけでもないのに、一方的な入居拒否である。フラミンゴが聞いたら、なんと思うだろうか。

ゾウの前では、老夫婦がこんな会話を交わしていた。

「なんにも考えてなさそうな目をしているわね」
「ほんと。ただ食って寝ているだけなんだろう」

逆にゾウが「なにかを考えていそうな目」をしていたら、怖いではないか。ゾウはゾウとしてただ生きているだけなのに、なぜここまで言われなければならないのか。

なにもいない檻の前では、学生グループがこんな会話を交わしていた。

「なんだ、なにもいないじゃん」
「いろよ」
「ふざけんなよ」
「マジ、いろよ」

もはや、そこにいない動物すらも責められているのである。「いろよ」て。理不尽でしかない。人間様は、いつのまにこんなにも偉くなったのであろうか。

動物が人間の声を聞くことができないことをいいことに、皆、言いたい放題である。
動物たちは、まさか自分たちの檻の前で、コメント欄がこんなにも炎上しているだなんて、露ほども知らないであろう。

人は、動物園で、動物を必要以上にディスる。
これはいったい、どうしたことなのだろう。

もしかしたら。人が動物園に行く理由、それは自分よりも下等なものを眺めることで、安心感を得たいからなのではないだろうか。
人は常に、神や上司、親などといった自分よりもランクの高い者の存在に怯えながら生きている。しかし、毎日がそれではバランスが悪い。そこで、自分よりも下等な者に触れ、蔑み、安心感を得る必要がある。それを叶える手頃な装置、それが動物園なのではないだろうか。

そう考えると、今日、暇を持て余して自然と動物園へ足を運んでしまった己の謎行動にも、説明がつく。僕は、この鬱屈した底辺生活の中で、無意識のうちに「たまには目下の者に触れて、偉そうにしたい」という欲望が膨れあがっていたのではないか。そういえば、さっきまでプロデューサー気分で園内を歩いていた。

哲学だ。これは、哲学である。

さっそく「動物園  無意識  人の本質」をグーグル検索し、この哲学の裏づけを取ろうと、iPadを取り出した。
電源を入れようとして、その真っ黒で指の脂がベタベタとついたiPad画面にうつる自分と、目が合った。
それは、髪の毛はボロボロで、目は落ち窪み、花輪くんの髪型のごときカールした鼻毛が飛び出した、査定金額6円の顔であった。
動物園にいる、どの動物よりも、下等な生き物が、そこにいた。

こんな話を聞いたことがある。

ニューヨーク郊外にある動物園では、出口付近に鏡が置いてあるだけの檻がある。そこには、こう説明書きがある。「地球上で最も危険な動物」と。

今回の日記は、その話の劣化版だと思っていただきたい。

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ワクサカソウヘイ

わくさかそうへい

1983年生まれ。コント作家/コラムニスト。著書に『中学生はコーヒー牛乳でテンション上がる』(情報センター出版局)がある。現在、「テレビブロス」や日本海新聞などで連載中。コントカンパニー「ミラクルパッションズ」では全てのライブの脚本を担当しており、コントの地平を切り開く活動を展開中。

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