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「永遠平和」は理性をもった人間の義務である。戦争はなぜなくならないのか

カントの「永遠平和」論を読み解く

カントが考えた「永遠平和」の条件、共和制

 しかし、国家が成立する前の状態と同じように、国と国との関係においても、絶えず争いの危険性に脅かされ続けるよりも、争いのない状態が実現されたほうが、世界中の人々がより自由に生きられるようになるはずだ。
 人間は理性によって未開状態を脱して「市民社会」を築いた。だからこそ、やがて諸国家が連合して、世界中を包括するような「世界市民状態」が生み出されるべきである。
 カントはそのように考えた。
 

 

 だが、国と国の連合を実現させるのは現実的に考えると極めて困難である。では、どのようにそれが実現されていくのだろうか。カントはまず、「永遠平和」が実現されるためには、国家が「共和的な体制」でなければならないと主張する。
 「共和制」とは一般的に君主を置かない民主的な体制のこととされている。一方、カントの考えでは、共和的な体制と民主的な体制とが必ずしもイコールで結びついているわけではない。
 
 共和的な体制と対立する概念は「専制」である。専制的な体制では、国家の法を決める者が同時に法を執行して統治を行う。たとえば、専制的な王制では国王が独断で法を決め自らの意志で執行することとなるだろう。
 
 民主制とは、社会の全ての人が国家を支配する体制である。特に、代表や議会を置かない直接民主制のようなシンプルな体制の場合、立法と法の執行を同時に市民が直接行うこととなる。この場合、カントの定義からすると法を決める者と法を執行する者が同じであるため、専制的な体制となるだろう。つまり、民主制とは自分で決めた法律を自ら執行するという点で、本質的に専制的な性格を持つものなのである。
 もちろん、共和的な民主制というものもあり得る。カントは共和制を「社会の人々が自由で、一つの法に従っていて、国家の市民として平等であるとする原則が守られている体制であり、また、行政と立法が分離している体制」としている。
 王制や貴族制であっても、しっかりとした憲法や議会が備わっていれば、こういった定義に適った形の共和的な体制を実現させることも可能である。
 共和的な体制において肝心なのは、市民の自由、法の下の平等であり、行政と立法が分離している代議制的なシステムが存在しているということである。
 カントの考えでは、支配者の数が少なく、支配者が代表する国民の数が多ければ、その体制は共和的なものとなる。それ故、最も理想的な共和制は、一人の君主が全ての国民を代表するという形式をとった君主制ということとなるだろう。

 

 だが、君主制であっても、国王が国民の代表者とならず、国家を所有物として扱っているような専制的な体制の場合、戦争を行っても国王の贅沢な暮らしに何ら影響は出ないため、娯楽の一つとして簡単に戦争を始めてしまうだろう。

 それに対して、君主制であれ貴族制であれ民主制であれ、共和的な体制の国家は、戦争を始める前に国民の同意を得なければならない。というのも、いざ戦争をするとなれば、国民は自ら兵士となって生命を懸けて戦わなければならなくなるし、膨大な戦費を負担しなければならなくなるからだ。兵士にならなくても、戦火に巻き込まれて被害を受けることもあるだろう。そのため、共和的な国家の国民は、戦争に対して慎重になる。世界中全ての国家が共和的な体制になれば、戦争の可能性は大幅に減ることとなるだろう。

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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