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源義経人気に火を点けた、江戸の「メディアミックス」

「源義経北行伝説」の謎 第6回

長い逃避行を終え、奥州平泉の高館で非業の最期を遂げた義経。しかし、東北から北海道に至る各地には、死んだはずの義経が立ち寄ったという伝説が数多く残っている。時に英雄として、時に悪人として、時に女性を惑わす色男として、様々に残る「北行伝説」の実像に迫る!

義経が最期を迎えた、持仏堂の跡地に立つ「高舘義経堂」

寺子屋の教科書、玩具、歌舞伎で
拡大を見せた義経伝説

 思うに我々の祖先は源義経の生涯にまつわる史実や伝説について、様々な媒体を介して内容豊かに触れ親しんできた。そうした伝承形態は、寺子屋や私塾を中心とした教育活動や、近世後期以降めざましく発展成熟した出板文化や大衆芸能などによるところが大きい。

 国文学者島津久基が著した『義経伝説と文学』(1935)は、義経伝説の全容を余すところなく拾い上げ、詳細に考察された労作である。文学・芸能を中心に義経伝説の巨塊を見渡す上で格好のテキストだが、同書において島津は、近世文学においては「義経を高館に死なせたものは、僅に『金平本義経記』『義経興廃記』の二・三種に過ぎない。」としている。つまり、それらを除く他の膨大な数の義経関係書籍が義経の生脱と蝦夷渡りをくりかえし紹介し続けていたのである。近世の手習い教科書類(往来物)の多くに『腰越状』や『弁慶状』、源平軍談の一説などが手本として掲載されている。『義経含状』はまだしも、『弁慶の借金証文』までもが手本とされていた。

 

 幼童の読み書きのはじめに用いられた「赤本」などの草双紙にも牛若丸・義経を主人公とするものは多く、「武者尽し」といった古今の武将図像集でも定番の一人であった。その「赤本」で、時に奇怪な「化け物退治」や愉快な「島めぐり」を繰り広げる牛若丸(義経)とその仲間たちは、当時の幼童にとって実に親しみ深い存在であったし、玩具においても定番キャラクターとして、ながく愛玩され続けていたのである。

 近世の大衆文学ともいうべき「読み本」の類では義経一代記の虚実入り混じった創作が絵入りで紹介され、さらにそのハイライトは錦絵の三枚続きのワイドなパノラマ仕立てとして、大量にそして種類も豊富に提供されていた。一の谷・屋島・壇ノ浦の合戦は『平家物語』によらずとも容易に人々の脳裏に焼き付けられたし、義経蝦夷渡りもまた格好の題材とされていた。なおこれらの印刷物と歌舞伎をはじめとする種々のエンターテイメントは密接に関係していた。今日のメディアミックスのごとき伝承形態なかで近世の出板文化が果たした役割のいかに大きなものであったか容易に想像がつこう。このようにして義経伝説は全国津々浦々にあふれかえっていったのである。
 義経の「北行伝説」は、あたかも史実であったかのように、否、なかば史実として日本人に周知されていたのである。そのような常識があったことは、平泉以北の地に義経伝説が成立する背景として見逃すことができない。

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千葉 信胤

ちば のぶたね

1962年、平泉文化遺産センター館長、岩手大学客員准教授。共著に『源義経流浪の勇者』所収「子どもの本と義経」(文英堂)、『義経展』所収「源義経の生涯」(NHK)『東アジアの平泉』所収「平泉民俗余話」(勉誠社)などがある。


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