なぜ、小説家・石原慎太郎は『天才』において、仇敵・田中角栄を描いたのか? 当時、史上最年少で芥川賞を受賞したデビュー作『太陽の季節』と併せ読むことで見えてくるもの。

空前の角栄ブームに石原慎太郎が乗っかった!?

 ローキード事件から40年たった2016年、石原慎太郎が『天才』という小説を発表した。『天才』とは田中角栄のことであり、青嵐会に所属していた石原にとってみればかつての政治的仇敵だ。なぜ今、作家・石原慎太郎は角栄を題材にしたのだろうか。

 そもそも作品の文体からして角栄自身が一人称で語るという、実に不思議な体裁をとっている。まるで、口寄せであの世から呼び出され甦ったように描かれているのだ。しかし、田中角栄が高等小学を卒業して、建築作業員でトロッコを押していた頃からロッキード事件で挫折を味わうまでの過程は、さすが練達の作家の筆、心情を散りばめ生き生きと描かれていく。

 また、時折垣間見える、「石原慎太郎の視点」が面白い。角栄が初めて登院した時、衆議院のホールに、伊藤博文、大隈重信、板垣退助の銅像が並ぶ中、一つだけ空(から) の台座があったという描写がある。ロッキード事件さえなければこの台座に立っていたのは田中角栄だ、石原のそんな意見が透けて見えるような気がするのは興味深い。

 石原慎太郎が『太陽の季節』で史上最年少(当時)で芥川賞を受賞してデビューしたのが1956年。田中角栄はその翌年に39歳の若さで岸信介内閣の郵政大臣に就任した。戦後初の30代の大臣だった。『太陽の季節』で社会への反逆を描いた石原は、同時期に守旧派への反逆を行ったコンピュータ付ブルドーザを描きたくなったに違いない。

 政治的に仇敵であった石原だが、田中角栄の躓(つまづ) きの石であるロッキード事件にかぎっていえば同情的で、アメリカの陰謀説をとっている。田中角栄があまりに愛国者であり、無私の精神の政治家であったため、アメリカの逆鱗(げきりん)に触れた、ということだ。

 かつて社会学者のマックス・ウェーバーは、政治家たるもの悪魔と手を結んででも結果に対して責任をもたねばならぬ、と喝破した。と同時に、悪魔の力は情け容赦ないとも語った。本作の主人公、田中角栄に感情移入したとすれば、あの時代の金脈問題は、政治家が結果責任を果たすため不可避な悪魔との契約だったと思えてならない。

 政治的に挫折した田中角栄。しかし、その熱量まで卑下されるものではない。エリート官僚のパソコンで作られた、「優等生の作文」のようなアベノミクスに比べれば、不格好でも庶民の実感に基づいた日本列島改造論はよっぽど希望が持てた気がする。読後に、そんな感情に包まれたのは私だけだろうか。

石原慎太郎『天才』幻冬舎
石原慎太郎『太陽の季節』新潮文庫