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「敵艦見ユ」の暗号電報を受信!
ついに決戦の火蓋がきられた

日露戦争の真実 日本海海戦の戦略を読み解く 第8回

 ロジェストウェンスキー司令官は駆逐艦や水雷艇による夜間攻撃を極度に警戒し、対馬海峡を通るには敵艦隊を肉眼で捕捉できる明け方がいいと考えた。

 5月26日夜、全艦隊に灯火管制を命じた。ただし味方同士での衝突を避けるために確認のための灯火は許された。最後尾の病院船アリョール(オリョール、アリヨールとも。同名の戦艦もある)だけは戦時国際法で攻撃されないと安心していたのか灯火をつけていた。27日午前2時45分、哨戒中の特務艦「信濃丸」(日本郵船の貨客船)艦長の成川揆大佐は部下の報告を受け、濃霧の海に目を凝らした。灯火をつけたままの船が見える。「信濃丸」はその後方について追跡した。夜が白み始めると、大小の艦隊が浮かびあがった。すぐに「敵艦見ユ」を意味する暗号電報を打った。

 対馬にいた第3艦隊の旗艦「厳島」がこれを受信し、同じ電文を鎮海湾の旗艦「三笠」へ転電した。午前5時5分、三笠は暗号電報を受信した。

 東郷平八郎司令長官は、朝鮮南東岸の加徳水道に待機していた第1艦隊第1戦隊、第2艦隊第2、第4戦隊に出航準備を命じた。首席参謀の秋山真之中佐が幕僚室に入ると、飯田久恒少佐や清河純一大佐らが司令長官名で大本営に打電する文案を練っていた。

「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス」

 秋山は目を通すと、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の一文を付け加えさせた。それは大本営を経て毎日、司令部に届く気象予報文をもじったものだった。

日本海海戦の当日、バルチック艦隊も目指して出撃した連合艦隊。

 

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松田 十刻

まつだ じゅっこく

1955年、岩手県生まれ。立教大学文学部卒業。盛岡タイムス、岩手日日新聞記者、「地方公論」編集人を経て執筆活動に入る。著書に「紫電改よ、永遠なれ」(新人物文庫)、「山口多聞」(光人社)、「撃墜王坂井三郎」(PHP文庫)など。


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