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西尾仁左衛門 ~日ノ本一の兵(つわもの)・真田幸村を討ち取った男~

日本史の実行犯~あの方を斬ったの…それがしです

真田幸村最期の地と伝わる安居神社の幸村像
織田信長、真田幸村、井伊直弼、坂本龍馬―――。日本史上、暗殺や討死によって最期を遂げた人物は数多く存在する。では、その事件の実行犯となったのは、どういった人物だったのだろうか!? これは、一般的にはマイナーな『日本史の実行犯』たちの物語!

「大坂冬の陣」における真田丸の戦で徳川軍を数多討ち取り、「大坂夏の陣」で徳川本陣を強襲して家康を切腹寸前まで追いつめたと言われる名将・真田幸村(信繁)。“日ノ本一の兵(つわもの)”と称された幸村を討ち取った人物こそ「西尾仁左衛門(にざえもん/じんざえもん)」という名も無き兵だったと言われているのです。

 仁左衛門の生年や生国などはわかっていません。一説によると相模国(神奈川県)の出身だと言われています。実名を「宗次(むねつぐ)」という仁左衛門は、はじめは「宮地久作」と名乗り、後に遠江国(静岡県西部)の西尾是尊という浪人の養子となり「西尾久作」と名を改めました。その後に「西尾図書(ずしょ)」、次いで「西尾仁左衛門」と改めています。改名時期に関しても詳しいことはわかっていません。

 仁左衛門は、はじめ武田家の重臣である横田尹松(よこた・ただとし)の家臣となりました。しかし、天正10年(1582年)に武田家が滅亡すると、そこから約10年、仁左衛門の動向は不明となります。浪人として仕官先を探していたと思われます。武田家に数年仕えたということですから、武田家の重臣であった真田家のことは無論知っていたことでしょう。

 仁左衛門が再び世に出てくるのは文禄2年(1593年)のこと。結城秀康(徳川家康の次男)に200石の下級武士として召し抱えられました。何でも、仁左衛門の武勇の噂が秀康の耳に入り、仕官の声が掛かったと言われています。仕官先がなかったと思われる仁左衛門にとっては、これほど有難い話はなかったことでしょう。

 その後、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の戦功で、主君の秀康が越前国北ノ庄(福井県福井市)へ加増移封となると、仁左衛門もこれに従いました。

 仕官して間もなかった仁左衛門でしたが「鉄砲者頭(=鉄砲足軽を率いる大将)」に指名され、本陣の前にあって先鋒を任される「先手役」を務めるなど、武田家時代からの経験豊かな武辺者ぶりは評価されていたようです。越前入封の翌年には700 石に加増され、中級武士となっています。

「家中において、西尾家が重んじられるためには、次の戦でさらに武功を挙げねばならぬ!」

 まだ新参者であった仁左衛門は、そういった心持ちであったかもしれません。

 そして、時は慶長19年(1614年)を迎え、「大坂冬の陣」が開戦しました。

 
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長谷川 ヨシテル

はせがわ よしてる

歴史ナビゲーター、歴史作家。埼玉県熊谷市出身。熊谷高校、立教大学卒。漫才師としてデビュー、「芸人○○王(戦国時代編)」(MBS、2012年放送)で優勝するなどの活動を経て、歴史ナビゲーターとして、日本全国でイベントや講演会などに出演、芸人として培った経験を生かした、明るくわかりやすいトークで歴史の魅力を伝えている。テレビ・ラジオへの出演のみならず、歴史に関する番組・演劇の構成作家や、歴史ゲームのリサーチャーも務めるほか、講談社の「決戦! 小説大賞」の第1回と第2回で小説家として入選するなど、幅広く活動している。NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)の第3話に一般エキストラとして14秒ほど出演。また、金田哲(はんにゃ)、山本博(ロバート)、房野史典(ブロードキャスト!!)、いけや賢二(犬の心)、桐畑トール(ほたるゲンジ)とともに、歴史好き芸人ユニット「六文ジャー」を結成、歴史ライブやツアーを展開中。トレードマークは赤い兜(甲冑全体で20万円)。前立ては「長谷川」と彫られている(特注品で1万5千円)。著書に『ポンコツ武将列伝』(柏書房刊)『マンガで攻略! はじめての織田信長』(原作・重野なおき、金谷俊一郎との共著、白泉社刊)がある。雑誌『歴史人』の人気ウェブ連載をまとめた『あの方を斬ったの…それがしです ~日本史の実行犯~』が3月19日(月)配本!


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  • 長谷川 ヨシテル
  • 2018.03.20