遠藤航が感じた浦和の歴史。優勝の裏側にあったキャプテンの気遣い、PK戦での攻防 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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遠藤航が感じた浦和の歴史。優勝の裏側にあったキャプテンの気遣い、PK戦での攻防

ルヴァンカップ優勝、PK戦の裏にあった秘話

■憧れの人とプレー。気づかいがすごい

 

 セカンドステージ制覇とルヴァンカップ優勝。10月は浦和レッズの重みを感じた一カ月でした。今回はそんなことについて書いてみたいと思います。

 みんなが歓喜の声を挙げ、喜びを爆発させている。
 そんなとき、さっきまで真ん中でカップを掲げていた阿部(勇樹)さんが僕のほうへ歩いて来るのが目に入りました。僕は一番端のほうにいて、それまで阿部さんがいた場所ではモリ(森脇)君たちが、代わる代わるカップを掲げながら優勝の余韻に浸っています。
 阿部さんは僕の目の前まで来ると「ナイス」と言って僕の肩を抱き、健闘をたたえてくれました。
 10月15日、ガンバ大阪とのルヴァンカップ決勝戦のことです。

 PK戦までもつれ込んだこの試合、僕は5番手のキッカーとして勝利を決めるPKを蹴ることができました。ボールがゴールネットに突き刺さった瞬間、(西川)周作くんのほうへ走っていき、抱きつき、そこへ次々と選手がやって来て歓喜の輪ができました。一方で、監督のほうへ走っていた選手もいました。これまで長い間、ミシャ監督と一緒にプレーをしてきて、あと一歩のところでタイトルを逃してきた選手たちの気持ちはよくわかりました。ふたつの大きな歓喜の輪ができているなか、ひとり阿部さんだけサポーターのほうへ向かって何度もガッツポーズを繰り返していた。
 そんなこともあって、僕と阿部さんはお互い別々の場所にいたので、祝福の言葉を交わす時間がなく、阿部さんはそれに気づいていて、このとき僕の方へわざわざ歩み寄ってくれたようでした。

 優勝の瞬間、サポーターに向かって喜びを表現するその姿勢もそうですが、こうした気遣いが、阿部さんのすごさだと感じてきました。背負っているものは大きいのにそれを見せない。キャプテンでありながら黒子として奮闘し、チームが勝てれば自分は目立てなくてもいいという姿勢に徹せられる。そしてよく周りの選手を見ている……。

 加入会見のときに名前を挙げさせていただいた「憧れの選手」は、実際にプレーをしていても学ぶことがたくさんありました。そしてその原点に「浦和レッズ」というチームの歴史があることも肌で感じられるようになったのです。

 
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遠藤 航

えんどう わたる

浦和レッズ

1993年2月9日生まれ。神奈川県横浜市出身。

2008年に湘南ベルマーレユースへ加入すると、2010年には2種登録選手としてJ1で6試合に出場し1得点。翌年に、正式にトップチームへ昇格、主にセンターバックとして活躍する。各年代の日本代表にも招集され、リオ五輪を目指すU-23代表では主将を務め、リオ五輪代表出場権を勝ち取った。2016年シーズンより浦和レッズに移籍。



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