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第64回:「お年玉 何歳までもらっている?」

<第64回>

1月×日

【「お年玉 何歳までもらっている?」】

 

まだくれる。

おばあちゃんが、お年玉を、まだくれる。

齢31の僕である。

31歳っていうのは、どう考えても「大人」である。

ところが、僕の有様は、ひどい。どの角度から見ても、「大人」ではない。いまだにピーマンが食べられないし、ヘリコプターが飛んでいるとすぐに手をふるし、デジカメを触っているうちになんかのボタンを押しちゃって画面から変な表示がずっと消えないままになっていたりする。回転寿司に行けばまずは玉子とイクラを食べるし、とんねるずの面白さがいまいちピンときていないし、友人への誕生日プレゼントをいまだに東急ハンズで買ったりする。

この「大人」でなさは、どうしたことだろう。

31歳。「大人」になっているはずだった。ふきのとうを食べたり、助手席から運転手にスムーズに高速料金を手渡したり、「中央公論」とかを読んだり。そんな「大人」になっているはずだった。

どうして僕は「大人」になれないのだろう。考えているうちに、思い当たった。

「おばあちゃんからいまだに毎年、お年玉をもらっているのが、原因なのではないだろうか」

僕のおばあちゃんは、毎年、僕にお年玉をくれる。

幼少期の頃は、そりゃ当然とばかりに受け取っていた。

プーさんなんだから、ハチミツを食べる。遣隋使なんだから、隋に遣わされる。子どもなんだから、おばあちゃんからお年玉をもらう。そんな当然さが、そこにはあった。

ハタチになった時のことだ。おばあちゃんからお年玉を受け取っている自分に、若干の違和感を感じた。あれ?僕、成人したんだよな?もう、子どもじゃないんだよな?お年玉って、まだもらっていて、いいのか?

そんな疑問を感じる自分がいる一方で、そのお年玉を当たり前のように懐に入れる自分がまたいた。

そこから、おばあちゃんと僕との、ズルズルとした関係が始まる。

僕が22歳になっても、25歳になっても、30歳になっても、年始に必ずお年玉を渡してくるおばあちゃん。僕が歳を重ねるごとに、どこか諦めにも似た表情でお年玉を渡してくるおばあちゃん。

いつしかそれは、ポチ袋ではなく、財布から直接ハダカで渡されるようになった。

僕は僕で、それを「ん」の一言で受け取るようになっていた。

ダメだ。これはすでに、祖母と孫の図ではない。「じゃあ、あたし、仕事に行ってくるから…」と言いながら出がけにヒモ男へ一万円札を渡す、そんな乾いた図に近い。

こんなだらしのない関係を、いつまでも続けていてはダメだ。僕もおばあちゃんも、負のスパイラルに陥っている。愛はすでにそこになく、お金によってつながっている男と女。幼い男と、諦念の女。いつの間にか、僕とおばあちゃんは、そんな悲しい立ち位置で結ばれていたのだ。

そのことにやっと気づいた僕は、心に宣言した。

「僕はおばあちゃんのヒモではない!孫なんだ!僕はおばあちゃんのヒモではない!孫なんだ!」

二回も言うほどのたいした宣言なのか、という疑問は残るが、とにかく僕はこの関係を断ち切る決心をした。そして決心ついでに、「お年玉 何歳までもらっている?」で検索をしてみた。すると、とあるアンケート結果がひっかかった。それによると社会人になってもお年玉をもらっている人が全体の7%を占めていた。

この7%から卒業しなくてはならない。そのためにも、今年こそはおばあちゃんからのお年玉を断ろう。そこから、「大人」になろう。そう心に決めた。

そして、今日。おばあちゃんの家に、年始の挨拶に行った。帰り際、玄関でおばあちゃんは無言とともに僕にお年玉をくれた。僕はそれを、当たり前のように受け取った。

身体に染みついているヒモの習慣というのは、実に恐ろしい。

 

 

*本連載は、毎週水曜日に更新予定です。お楽しみに!

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ワクサカソウヘイ

わくさかそうへい

1983年生まれ。コント作家/コラムニスト。著書に『中学生はコーヒー牛乳でテンション上がる』(情報センター出版局)がある。現在、「テレビブロス」や日本海新聞などで連載中。コントカンパニー「ミラクルパッションズ」では全てのライブの脚本を担当しており、コントの地平を切り開く活動を展開中。

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