——今回の展覧会の作品の中で、一番好きな作品は「画家の夫人」だということですが……。

原田  この作品を観たのは、昨年1月に、メトロポリンタン美術館で開催さ

 

れた「マダム•セザンヌ」展。セザンヌが自分の奥さんを描いた作品27点を集めた珍しい展覧会でした。彼はサント•ヴィクトワールという山の風景画や静物画を多く描いていますが、肖像画はあまり描いていません。
 これには理由があって、セザンヌがモデルに対してとにかく厳しかったからのようです。「君は僕の前ではリンゴになれ!」と、何時間も、ずーっと同じポーズをとらせました。大抵のモデルは根を挙げて勤まらなかったそうです。唯一、モデルを務められたのが奥さんのオルタンスだったのです。

  「リンゴ一つでパリをあっと言わせる」と語ったセザンヌは、自分だけの革新的な表現を求めて闘った、孤高のアーティストです。
 革新的過ぎて絵は全く売れないなか、出会ったのが当時19歳、ブックバインダー(本のお針子)をしていたオルタンス。同棲を始めて子どもも出来るのですが、銀行家の父の仕送りで生活していたセザンヌは、身分違いということも手伝って、妻子がいることを15年間も隠していました。こうした立場にあって、オルタンスはセザンヌの厳しい注文に従い、モデルを27点も務めました。

——セザンヌが描いた肖像画のどんなところに惹かれますか?

原田  オルタンスの肖像画が面白いのは、どれも不機嫌な顔をしていること。私は20年前、ロンドンのセザンヌ回顧展で初めて肖像画を見て以来、ずっと「どうしてこの女性(人)、こんなに不機嫌な顔をしているんだろう」と不思議に思っていました。「奥さんなのに、愛情がないのかな? それとも、仲が良くない?」なんて思っていました。
 メトロポリタンでの展覧会を機に、研究家たちが色々な議論を交わして新たな発見もあったそうです。その際、オルタンスはセザンヌに深い愛情があったこと、だからこそ長い時間、ポーズをとり続けたこともわかりました。

 セザンヌは、笑ってくれとか愛らしいポーズをとってくれ、なんてことは決して言わず、ありのままの彼女を描きました。肖像画の表情は全部異なっていて、セザンヌの、その時々の奥さんへの感情が正直に描かれています。 19世紀までの肖像画の歴史は、いかに理想的に美しく仕上げるかが大きな課題でしたが、セザンヌは全くそうしなかったのです。
 画家とモデルの間に深い愛情や信頼関係があるからこそ出来たことで、展覧会を見ていくうちに、そのことが非常によくわかりました。

——今回、デトロイト美術館展で出展されているオルタンスの肖像画の魅力を教えてください。

原田  セザンヌの肖像画には大小、様々なサイズがありますが、この作品はほぼ等身大のとても大きな絵。堅牢なつくりで、どっしりとして見えます。軽やかなタッチで筆を滑らせていて、セザンヌの特徴でわざと塗り残しの効果が良く出ています。それによって、どっしりとした大木のような重みがある反面、絵がカンヴァスのなかから浮き出ているように見えるという不思議さも合わせ持っているのが魅力ですね。
 貴族の女性たちのような着飾ったドレスではなく普段着で、それも現代社会の装いに通じるものがあります。 また、よく見ると、服の色はうっすらと薔薇色をまとっていて、まるで朝焼けのような明るさと軽やかさがあります。
 そして、眼の中心に光がともされていて、じっと見つめていると本当に動き出しそうです。肖像画を抽象化しているところがあるにも関わらず、ものすごいリアリティです。今回の展覧会作品のなかで、実に秀逸です。