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〝日本のベニス〟堺の環濠跡

季節と時節でつづる戦国おりおり第254回

 ようやく猛暑も少しやわらいでくれたか、と感じられる朝夕の過ごしやすさ。これからしばらくの時期が一番楽ですね。大阪府堺市では、雨上がりにも関わらず湿気が少なく感じられる9月10日(土)、堺市堺区内の熊野小学校内で中世環濠跡の発掘調査の現地説明会がおこなわれました。

 イエズス会宣教師、ヴィレラやフロイスは堺を「ベニスの如し」「日本のベニス」と評しましたが、それは堺が会合衆という上流町人たちの自治によって治められている点が、執政官(これも上級の町人かと思われる)の統治する自由都市・ベニスと共通するだけでなく、水路の走るベニス同様、堺も環濠と水路を備えていた事もあったでしょう。

 ちなみに当時の環濠は、現在堺の旧市街の西から南をめぐる土居川とは別物です。土居川は、豊臣秀吉が環濠埋め立てを指示して以降、おそらく数次にわたって消滅して行き、江戸時代になって新たに掘削されました。何年に一度か発掘調査によって地中から現れ今回もまたその姿を見せてくれたものなのです。

それが、こちら。

 

  説明によれば、その幅は8.5m、深さは2.2m。実際はそれ以上の幅と深さを有していたそうです。

 ヴィレラが
「深き堀を以って囲まれ、常に水充満せり」
 と記した通り、規模の大きい堀だったようですね。出土した遺物は大坂夏の陣のあった前後、17世紀前半のものばかりらしいですから、おそらくその頃埋め立てられたのでしょう。

 写真の左手が南で、正面のショベルカーの下の盛り土部分が、ちょうど当時の搔き上げ土居(土塁)のイメージと重ねられます。その向こうが中世堺の町のエリア。この堀自体は南北に走っており、環濠全体の東面部分です。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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