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セックスは孤独を克服するためにある

現在観測 第43回

セックスは孤独を克服するためにある

 そもそも結婚とは、一つの社会制度です。言い換えれば、ルールであり、制限にすぎません。
 一方、セックスの核となるところは、孤独の克服です。人は生まれてから死ぬまで一人で、それをどう克服するかがずっとついて回るテーマです。母親に抱かれることで孤独を克服し安心する幼児期に始まり、友達とのつながりによってとか、社会で活動することによって、家族を持つことによって、恋人と交わることによってと、いろいろなやり方で孤独を克服しようとしながら生きていきます。
 その中で、一番強く孤独から解放してくれるのがセックスです。それは承認欲求よりももっと深く根源的なもので、社会的行為ではなく本能的行為です。ということは、セックスと結婚をセットにするには、どちらかが変化しなければ無理なのです。結婚を社会制度でなくし、事実婚を正規の結婚とするのか、セックスを社会的行為と変貌させるのか。とりあえず現状は後者になっています。お勤めなんて言われるセックスがその最たるものです。

 セックスには大きく分けて3つの意義があると僕は考えます。第一に、生殖、子作り。第二に、快楽、娯楽、文化。第三に、コミュニケーション、心の交わり。結婚しているという前提で話をすると、それぞれの意義によって二人の肩書きは変わります。
 子作りをする時の二人は父と母に、快楽を求める時は男と女になり、心の交わりを求める時は夫と妻です。これをまた別の観点からとらえると、生殖のセックスは、思考によるもの。快楽のセックスは本能によるもの。心の交わりセックスは感情によるもの、と分類することもできます。

 ただ僕は、本来セックスとは、孤独の克服だと思っていますから、第二のセックスが行為の途中から第三のセックスに変貌するものだと捉えています。思考でするものではなく、本能的に欲情し、そこに感情が交わるという自然発生的なものです。自然ということは、自由で無限で、それは社会化できない行為です。

 ですが、現代の結婚制度は、セックスを社会化しようとしています。あたかもそれが当然できるかのごとく。人間のセックスが他の動物と違うのは、生殖と快楽を切り離せたことです。生殖という本来は本能的行為であるものを、思考でコントロールできるようになったばかりに、生殖を社会化したのです。
 結婚してから生殖するものというのが当然のように思われていますが、本来は逆です。どういうことかと言うと、「出来ちゃった結婚」の方が筋の通った順序であるということです。本能と感情によるセックスの結果妊娠し、子どもを育てていくには社会に適合した方が都合がよく、結婚という社会的制度を選択するという順番だと筋が通る。
 お見合いでも、恋愛結婚でもなく、出来ちゃった結婚が理想とは、無責任だと非難されることでしょう。でも、結婚という選択が先にある場合の子作りは、思考が介入しています。子作り目的でなかったとしても、結婚という制度で認められたセックスは、思考が先だったものです。なので、括りとしては、生殖が思考によるセックスとなっています。結婚も、セックスも、どちらも本来のものから変化させないで済むのは出来ちゃった結婚です。

 

セックスも結婚も諦めない

 では、結婚した後の話ですが、もちろん、結婚をした二人が本能と感情でセックスすることはあります。でも、それをずっと続けることは非常に困難です。現実問題として、それが出来ず、多くの方が悩み苦しんでいます。結婚を維持していくために、セックスを諦める人も多く出ています。逆に、負担に感じながらセックスする人もいます。
 セックスと結婚をセットにし、セックスを制限したり、セックスで苦しむの、もういい加減やめませんか。そのためには、セックスに価値や意味を見出さないことが重要です。
 セックスを愛の行為とロマンチックに考えない。セックスの始まりは相手に対する欲情であり、その欲情とは、相手とつながりたいという本能です。飯を食ったり、睡眠をとったりするのと同じ欲求です。そこには意味も価値もない。ただただ、人とはそうゆうものだという解釈です。

 この考え方ができると、結婚にセックスを閉じ込めず、結婚とセックスを切り離すことができます。結婚と生殖はセットが都合いいかもしれませんが、快楽や心の交わりのセックスを結婚の外に求めても、それは結婚に対する否定ではない(もちろん、内にあるに越したことはありません)。結婚は結婚。欲は欲。外でセックスをしてくることで、結婚生活がうまくいくなら、それもありと考えられませんか。
 これは、僕がAV男優でセックスしまくって、セックスの価値が軽くなったからではないです。もともとセックスに価値なんかなかったんだと気づけたからです。

 セックスに価値や意味を見出すのをやめることで、本来のセックスをとらえることが出来、人生の選択が広がります。自分の人生を自分のものにするのに、必要なことだと僕は思うのです。そして、そのうえで結婚すれば、それが社会的に正しくはないのかもしれませんが、幸せな結婚になるんじゃないでしょうか。セックスも結婚も諦めない。

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森林 原人

もりばやし げんじん

1979年、横浜生まれ。中学受験で麻布、栄光、筑駒、ラ・サール全てに合格し、筑駒に入学。そこで本物の天才たちを目の当たりにして人生初の挫折を経験。勉学に向けられていた努力は、性的なことに対する情熱に変わる。お小遣いやお年玉は全てエロ本に消え、付いたあだ名は“歩く有害図書”。東大受験に失敗、一浪した後、専修大学文学部心理学科に進学するも、大学生活に馴染めず自暴自棄になり、性的衝動の勢いも借りてAV男優のアルバイトに応募。初めての現場で滞りなく仕事をこなし絶賛される。20歳から37歳に至る現在までAV男優一筋。出演作1万本。経験人数8000人。趣味は読書で、好きな作家は池田晶子。


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