骨といえば、当然のことながら、瘦せていることのバロメーターにはなります。骨が出ていることは脂肪がないことの証であり、それを実感できるかどうかは瘦せ姫の精神を大きく左右するものですから。

 それゆえ、椅子に座ったときやベッドに横たわるときに骨が当たって生じる苦痛ですら、安心につながったりもするわけです。

 この「苦痛」がときに「安心」でもあるというのは、瘦せ姫ならではの感覚かもしれません。

 たとえば、体重などの数字に振り回されるのも、儀式にとらわれるのもよしとしない瘦せ姫がいるとします。それでも、何かしら、瘦せを確認せずにはいられず、その方法として意外なものを見つけていたりするのです。

 それは、階段の上り下りなどで疲れるかどうか。普通の体型、普通の体力であれば容易に行なえることで疲れることが、瘦せの証となるわけです。

 そういう意味では、生理がないこともバロメーターだったりします。また、細すぎることでじろじろと見られたり、ひそひそといろいろ言われたりすることも。

 そう考えると、瘦せ姫はつねに、瘦せを確認できる材料を探しているといえます。それは安心だけでなく、苦痛にもつながるものですから、その両極端な感情の狭間で落ち着くひまもない日々でしょう。

 さらにいえば、瘦せを自らのアイデンティティとしている場合、瘦せの確認は自分探しでもあります。ただ、問題は世間的に見て、瘦せ姫の瘦せはなかなかアイデンティティとしては認められにくいということです。

 そこに気づいてしまった人にとっては、瘦せの確認もどこかむなしいものでしょうし、それは砂を噛むような徒労感をもたらしていると思われます。

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