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実績のすごさと名を残すのは別 竹中半兵衛&竹中重門

鈴木輝一郎 戦国武将の史跡を巡る 第15回

岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!
 

 

伝説の軍師・竹中半兵衛! 息子・重門も働いてます!

 

秀吉の事跡をチェックするとき小瀬甫庵の『太閤記』は信頼性がちとアレなんで、『豊鑑』などをひっくり返しているんですが、この『豊鑑』、「あの」竹中半兵衛の息子、竹中重門(しげかど)の著作なんですな。

竹中重門の事跡はかなりはっきりわかっています。
天正元年(1573)美濃国不破郡岩手生まれで、七歳のときに父と死別。
秀吉に仕え、関ケ原の合戦のときには小西行長を逮捕。
美濃国不破の本領を安堵されて幕末、といった具合。
著書の『豊鑑』は寛永8年(1631)に完成した秀吉の一代記で、簡素ながら比較的信頼できるものです。

翻刻されて『群書類従』合戦部に収録されているので、現在でも比較的入手が容易です。
竹中氏の陣所と呼ばれるところは現存していて、小ぶりながら荒々しい、いかにも戦国ふうのつくりです。

 

で、父親の竹中半兵衛重治はというと、生年は正確にはわからない。
「斎藤龍興を戒めるために小勢で稲葉山城を乗っ取った」話は有名ですが、そんな重罪人を斎藤龍興が無罪放免した理由がわからない。

浅井長政が美濃・稲葉山城を襲撃したとき(連載第6回を参照)、竹中半兵衛の居城・美濃菩提山城のすぐ脇を駆け抜けたのにまったく手をだしていない。その理由もわからない。

信長に仕え、秀吉には寄騎(出向ですな)しただけなのに、いつの間にか「信長を嫌って秀吉に仕えた」って話になっていて、その理由もわからない。いちばん肝心な「軍師として何をしたの?」というところも、よくわからない。

国道21号線を大垣から西に向かうと、垂井あたりで看板が立っています。「半兵衛の里」とか、「竹中半兵衛の歌」とかもある。
ここいらの、「歴史に残る人と実績のある人の違い」ってのは、実は戦国武将を調べているとけっこう当たります。
何か差があるんですね。なんだろう? 

 

ともあれ、国道21号線の看板にしたがって、そのまま道なりにまっすぐ北に向かうと竹中半兵衛の陣屋跡。さらに奥に進むと菩提寺の禅憧寺。
写真は竹中半兵衛のお墓です。

 

カーナビではなかなか出てこないので、「岐阜県垂井町岩手1038」って具合に住所を入力したほうが早いかも。

……だけど地元では竹中半兵衛が好きなんですな。

〈了〉

 

 

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鈴木 輝一郎

すずき きいちろう

作家

1960年岐阜県生まれ。小説家。歴史小説『浅井長政正伝』『戦国の凰 お市の方』など著書多数。2008年には著作が50冊に達した。

日本推理作家協会・日本文藝家協会・日本冒険作家クラブ会員。


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