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コミケとは、民主主義の希望である

「お客」が一人もいないコミュニティの在り方

民主主義の高度な「生き方」が実践されるコミケ

写真提供/Pixabay

 8月12日から14日の三日間、今年も夏のコミケ(コミックマーケット90)が開催された。私も一日目と三日目に参加したが、同人誌や企業ブースで販売されるグッズを買う人、コスプレをする人たちで会場内は埋め尽くされていた。
 コミケには国内外から50万人以上もの人たちが集まってくる。この動員人数は日本国内のイベントでもトップクラスの多さだろう。しかし、カタログ等に書かれている理念によると、コミケに集まる50万人の中に「お客様」は一人もいないことになっているという。
 
 コミケには同人誌や手作りの制作物等を頒布するサークル、グッズ等を販売する企業、それらを入手するために訪れた一般の人たち、コスプレをする人たちとそれを見たり写真撮影したりする人たち、運営するスタッフ等が集まっている。
 一見すると、同人誌やグッズを求めて訪れた一般の人たちは「客」であるように思えるかもしれない。しかし、コミケの理念として、サークルや企業、運営スタッフとして参加する人たちだけでなく、一般の人たちもまた、表現の受け手として参加する「参加者」としてみなされることが謳われているのだ。
 商業ルートには乗らない自由な表現を行う場において、表現を行う側と受け取る側、運営する側の三者は対等な立場として協力し合うという理念なのである。
 運営は有志のボランティアによって行われていて、参加サークルの多くは赤字かトントンの収支であるため、企業ブースをのぞけば、参加者は基本的に営利を目的としていない。純粋に自分が行いたい表現を行い、自分が好きな表現を享受するということが第一の目的とされているのである。
 日本国内トップクラスの人数を動員するイベントであるのに、国や企業等の大きな組織が主催しているわけではなく、有志の人たちによって自主的でインディペンデントかつ「DIY(Do It Yourself)」な運営がなされているのも特徴的である。
 もちろん、禁止されているはずの徹夜組が絶えなかったりと、問題があるのも確かではあるが、大部分の参加者は人混みでごった返している会場内外での行列をしっかり守ったりするなど、ルールを守った行動を行っている。これもやはり、この「場」をより良いものにしていき守っていきたいという想いが、多くの参加者に共有されているからだろう。
 
 こういったコミケの理念と参加者の在り方には、民主主義の高度な実現が見られる。ある意味では、選挙やデモといった、民主主義という言葉からすぐに思いつくものよりもっと民主主義的と言えるかもしれない。
 日本では民主主義と言えばイコールで選挙のことと思われている面があるが、選挙というのは民主主義を運営するための手段の一つであって、選挙イコール民主主義というわけではない。
 統治を特定の階級だけに任せず、普段は様々なことに携わっている素人である民衆が、自分たち自身の力で自分たちのコミュニティの運営を全部やるというのが、民主主義である。統治に参加する人たちの間には、同じコミュニティの成員を対等な仲間と見なし合い、対立する多様な意見の主張を認めるという民主主義的な「生き方」が必要とされる。
 
 1831年から32年にかけてアメリカを視察したフランスの思想家トクヴィル(1805~1859)は、同時代のヨーロッパよりもアメリカにおいて民主主義が成功している理由として、次のようなことを挙げている。
 ヨーロッパでは社会の上層部で政治の動きが決められてから社会全体に行き渡るのに対して、アメリカでは連邦より先に州が、州より先に郡が、郡より先に自治体(タウン)が組織され、全住民が対等にタウンの運営に携わっていたために、共和政の習慣がタウンの内部に息づいてきた。
 特に、イギリス本国の弾圧から逃れアメリカ東部沿岸に植民したピューリタンたちは、人工的なものが何もない大自然の中に自分たち自身の力で手作りのコミュニティを作り、運営していかなければならなかった。そういった環境の中では、自ずと自主独立の精神が養われていったことだろう。アメリカの民主主義の源流は、植民地時代に移民が自主的に作り運営した手作りのコミュニティにある。
 民主主義というのはこのように、自分たちのことは自分たちでやるというような、インディペンデントで「DIY」なものなのである。公職に専門家や特定の階級だけが就けるのではなく、誰でもが就くことができるので、公職を経験したりコミュニティの運営に関わった経験をした者は、公共への意識も高まるだろう。
 
 コミケもまた、初めは小さな規模の人びとが手作りでコミュニティを作り上げ、自主的に運営や参加を行い、徐々に規模を大きくしてきた。頒布するものやコスプレ衣装も手作りで、顔が見える対面のコミュニケーションの力を重視している。かなり濃い趣味表現も行われるので、ジャンルによっては対立し合うものもあるかもしれないが、敢えてヘイトをぶつけ合うことなく、対等な表現として存在を認めている。こういったコミケの在り方に、民主主義の「生き方」の側面が高度に実現されている姿が見られるのではないだろうか。
 社会の運営としての統治は政治家や行政がやるものだから自分たちが関わるものではないという意識を民衆が持ったままでは、民主主義の実現には程遠い。しかし、民衆が自分たちの社会を自分たちの力で運営していこうという意識を持った時、民主主義は今よりもっと高度に実現されるはずだ。そういった意味では、日本にもコミケのように無意識の内にでも民主主義の「生き方」を直に体験できる場があるのは、一つの希望でもある。

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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