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「福岡市」なのに、ターミナル駅が「博多駅」??

『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』刊行記念。福岡の地名と歴史を訪ねる旅へ【第三回】

 ●福岡と博多、双子都市の誕生
 

 関ヶ原合戦後、筑前福岡藩五十二万余石の主となった黒田長政は、「博多」と那珂川を挟んで西に位置する那珂郡警固村の福崎に、あらたに城を築いて政治の中心とする。そして、ここを「福岡」と名付けた。黒田家にゆかりが深い備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町)にちなんだからだという。「福岡」の初出は、長政の父である黒田官兵衛(如水)の、次の連歌とされる。
 「松むめや末ながかれとみどりたつ 山よりつづくさとふく岡」
 長政は福岡の城内に重臣の、大名町・天神町・因幡町・土手町に上級藩士の、荒戸町に中級藩士の屋敷を構えさせた。さらに南方の丘陵地には下級藩士が多く住み、北側の福岡六丁筋には御用商人や職人宅が軒を並べた。
 那珂川にかかる西中島橋のたもとには枡形門が設けられ、これで「福岡」と「博多」はつながっていた。「博多」は商人町として画定され、町人は枡形門を自由に往来出来たが、武士は出入りを抑制されていたという。
 こうして「双子都市」とも称される、特異な形態が生まれた。
 「福岡」と「博多」が合併したのは、明治になってからだ。明治四年(一八七一)、廃藩置県後に旧福岡藩領は「福岡県」となる。明治十年一月にはかつての「福岡」が第一区、「博多」が第二区となり、さらに同年九月には大区制に改められた。そして明治九年に二つの大区は合併して「第一大区」となり、同十一年には「福岡区」と改称する。同二十二年四月、市制が施行された際、福岡・博多両地区が市名をめぐり譲らなかった。結局「福岡市」となったが、そのかわり、間もなく敷設される九州鉄道(現在のJR鹿児島本線)の駅名を「博多」にすることで落ち着く。
 こうして明治二十二年十二月、博多駅が開業(最初の駅舎は現在の駅舎よりも北西約五百メートルの出来町公園あたりにあった。跡地を示す碑あり)。しかし、翌二十三年二月の市議会では、「博多市」に改めよとの決議案が出され、反対・賛成が半々で拮抗したが、議長の決断で否決されたという。

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  • 一坂 太郎
  • 2016.04.09