■七夕にはなぜ笹竹を立てるのか?

 

 7月の行事といえば七夕、と思われる方も多いだろう。

 幼稚園や保育園、デパートやショッピングセンターなどでは願い事が書かれた短冊が吊るさた笹竹が立てられているのをよく見かける。筆者も幼い頃に何度か短冊を吊るした記憶がある。

 しかし、この行事、かなり微妙だと思いませんか?

 たしかに願い事を短冊に書いて吊るすというのはロマンチックだし、おみくじ好きの日本人らしい行事だと思う。
 だが、この願い事、いったい誰がかなえてくれるというのだろう?
 その辺の説明を聞いたことは一度もないし、短冊に書いた願い事がかなって幸せになったという話も聞かない。クリスマスのようにプレゼント交換があるわけでもなく、この日だけ食べられるご馳走やお菓子があるわけでもない。それにもかかわらず、廃れることもなく受け継がれているのはなぜだろうか?

 実は日本の七夕はいろんな信仰が混じり合っており、その結果、長く続く行事となったと思われる。そして、その混じり合っているいろいろな信仰をていねいに選り分けていくと、その奥から〝もう一つのお正月〟が見えてくるのだ。

 一般に七夕の起源は、中国の乞巧奠(きこうでん)にあるとされる。

 この説明は正しい。ただし、補足がいる。

 乞巧奠が日本に伝わり、日本人の行事として受け入れられていく過程で、日本古来の信仰や仏教に由来する行事などと混じり合った。逆に言うと、それらと混じり合うことによって、日本の行事として定着することができたのだ。

 まず元となった乞巧奠から簡単に説明することにしよう。

 それには牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の神話から話さなければならない。

 牽牛(彦星、わし座のアルタイル)と織女(織り姫星、こと座のベガ)は天の川をはさんで向かい合う星の名前だ。古代の中国人はこの二つの星を見て、こんな神話を生み出した。織女は天帝(天の神の王)の娘で機織りの名手。牽牛は牛飼いで、二人とも真面目な働き者だった。

 天帝は真面目な二人の結婚を許したが、二人はあまりに愛し合っていたため、結婚以来すっかり働かなくなってしまった。怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離し、1年に1度、7月7日の夜にだけ会うのを許すことにした。

 乞巧奠は機織りの名手だった織女にあやかって裁縫などが上達するのを願う儀礼で、7月7日の夜に7本の針に7色の糸を通して供えるのだとされる。短冊に願い事を書くのは、この7色の糸に由来するともいわれる。

 

 いつ日本に乞巧奠が伝えられたのかはわかっていない。しかし、『万葉集』に七夕の歌が収録されていることから飛鳥時代頃に伝わったものと思われる。

 こうした由緒正しい乞巧奠は冷泉家や神社などで今も行われている。

 その様子を写真などで見ると、神社のお供えに儒教的な要素を加えた感じで、われわれが七夕で抱くイメージとはかなり違う。笹竹も立てられていない。

 どうも笹竹は日本古来の信仰と関係があるようなのだ。