自主回収って、ようするに“保身”だよね

 

松尾―――お金を出して買いたい人は、CDを買う自由があっていいと思う。テレビ放送に関しては不特定多数が見るから、悪影響を考慮して自粛という判断もまだ理解できる。でも、CDや映画はいいじゃないすか。わざわざ金払って買ったり、映画館に足運んだりしてるんですよ。CDの自主回収や映画の放映中止って、そういう自分で視聴を選択した人たちすら視聴できない状況にしてしまう。被害者が直接いない犯罪に、わざわざ被害者を生んでるわけでしょ? それは意味がないと思いますけどね。

 

及川―――自主回収って、ようするに“保身”だよね。私の業界でも自主規制が進んでいて、色んな言葉が使えなくなっている。たとえば、今はもう「ジプシー(※「放浪者」「流れ者」などの意)」という言葉が使えないけど、これだって自主規制なのよ。「一部から苦情が来るかもしれないから」という理由で勝手に自主規制してしまう。

 

松尾―――「ジプシー」に苦情を入れるのは無関係の人で、当事者であるジプシー本人からは絶対に苦情は来ないですよね(笑)。これ、ホントにおかしいと思う。

 僕も昔、「エスキモー」という言葉をNHKの生放送で言ったことあるんですよ。『アリゾナ・ドリーム』という映画を紹介するコーナーで「エスキモーが登場するシーンが~」と言ったら、プロデューサーが飛んできて「エスキモーという言葉を使わないでください!」って。「エスキモーは西洋の人達が『生肉を食う人達』という意味で押し付けた言葉だから『イヌイット』を使って下さい」と言われて、生放送中に「イヌイットと言うそうです。すみません」と謝りました。

 でも、納得できなくて広辞苑でエスキモーを調べたら「イヌイットとも言う」と書いてあり、さらにイヌイットを調べようと思ったら、当時の広辞苑にはイヌイットの項目がないんです。その後、色々調べたところ、イヌイットは限られた部族を指す言葉で、エスキモー全体のことを示す言葉ではないと分かった。あの映画に出てきた人がイヌイットかどうかも分からんのに、僕は広辞苑にも載っていないような不確かな表現に言い換えさせられたわけですよ。

 実は「放送禁止用語」と呼ばれる言葉って、日本には存在していないんです。単に「我が社ではこの言葉を使用するのを控えましょう」というのを便宜上「禁止用語」と呼んでいるだけ。どこにも禁止されていない。

 

及川―――私が言われたのは「あなたの愛に被爆する」というフレーズ。自分で書きながら「これは絶対、何か言われるだろうな」と思ったら、案の定「『被爆』はダメです」と言われた。でも、被爆は放送禁止用語じゃないし、「あなたの愛に被爆する」はポジティブなイメージで書いてるわけです。「この表現は何も差別してないよ」と懇切丁寧に説明したら、結局、使用OKになった。だから、所詮自主規制ってその程度なのよ。

 

松尾―――理論武装さえしっかりしていれば問題ないんですよね。むしろ問題なのは、現場の人が不勉強だということ。「恋は盲目」はOKで「文盲」はNGとか、判断基準の差が不明瞭すぎる。

 

及川―――そう、その通りだよ!

 

松尾―――イギリスの伝説のコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』を放送していたのは、BBCという公共放送局で、日本におけるNHKと似たような立場です。ただ、BBCがNHKと違っていたのは、現場が保身だけで動かないところ。ブラックユーモアを旨とする番組なので、嵐のように苦情が来るんです。でも、制作サイドが本気で勉強した上で番組をつくっているから、苦情に対しても毅然と対応できる。

 たとえば、この番組には「ガンビー」という、頭にハンカチを乗せて奇妙な言動をするキャラが登場しますが、これが「特定の層をバカにしている」との理由で苦情が殺到したことがあった。これを受けて、番組側がどう対応したかというと、翌週の放送でガンビーの格好をしたまま「もう二度としません」って謝るわけですよ(笑)。つまり、心意気と理論武装と、あとは“確信”。彼らは本来の意味での確信犯なんです。

 だから、現代の日本においても「何かあったら俺に言ってこい!」と断言できるような骨のあるプロデューサーがいれば、過剰な自粛は避けられる可能性もある。

 

及川―――放送業界だけじゃなくて、音楽業界や出版業界にも同じことが言える。もちろん、私たち作り手側が気をつけることもあると思うけど、安易な規制は無駄な衰退を招きかねない。

 

松尾―――表現者をサポートする人たちも、もっと適切な判断力を身につけるべきですよね。

 

※4月16日にロフトプラスワンウエストで行われた及川眠子『誰かが私をきらいでも』(KKベストセラーズ)×松尾貴史『違和感のススメ』(毎日新聞出版)発売記念特別対談をもとに構成