私は20代後半から30代前半まで、ゴルフを趣味とした時代もあった。

 そのころ、城郭研究者に対してゴルフが趣味だと明かすと、蔑視されることも間々あった。城郭研究者の多くは、探査に時間と労力と資金を奪われ、ゴルフを趣味とする余裕がない。

 また、ゴルフ場の開発によって城郭の遺構が失われるということも例外ではないため、ゴルフというスポーツに対して好印象を抱いていないようだ。

 さて、ゴルフ場には、○×城カントリークラブという名称が少なくない。ゴルフをしていたころは、なんとなく気になりながらも、この謎を放置していた。最近、大多喜城カントリークラブと万木城カントリークラブの近くを通過したことから、謎を解明しようという気持ちが芽生えた。

写真を拡大 大多喜城模擬天守。昭和50年完成。城には天守閣がなければいけないという発想のもとに建築される。

 

 まずは、ネットで検索したところ、ゴルフ場の名称と関連付けられた城の名称は下記の通り。

 

烏山城・小田原城・南摩城・大多喜城・皆川城・新発田城・下田城(新潟県)・那須霞ヶ城・鬼の城・足利城・万木(万喜)城

 

 なお、ここで列挙したゴルフ場のすべてはその城のエリアとは別の場所に開設されており、遺構が破壊されたという例は確認されない。古城を遠望しながら優雅な気分でプレイをする、発祥の地であるイギリスでは貴族の城にゴルフ場が付随していた。

 そんな理由から、近接する城の名前がゴルフ場の名称に冠されたというのが謎の正解らしい。

 高度経済成長期には、開発により、中世城郭や古代の住居跡など、さまざまな歴史的遺構が地上から姿を消した。すべての歴史的遺構を保存することは不可能であり。優先順位をつけて保存と開発を仕分けすることを避けることはできない。

 ただし。そろそろ、日本という国において開発という行為自体が必要か否かを考えるべき時代になりつつあるのだと思う。

写真を拡大 万喜城展望台。主郭部には城の櫓のような展望台が建設される。平成初期には観光地として整備される方向性にあったが、現在は集客力の低さから放置されつつあるようにも見えなくもない。