■ロンメルが来るぞ!

写真を拡大 第1次エル・アラメイン戦で撃破されたイタリア軍のM13/40中戦車。ドイツやイギリスの戦車に比べて性能的にやや劣り、機械的信頼性も良好というわけではなかった。だが砲の威力は悪いものではなく、戦い方の工夫や乗員の練度によっては善戦することもあった。

 ロンメルの読み通り、イギリス軍は「敗走風」に吹かれており、国境沿いに有効な防御線を構築する余裕すらなかった。

「ロンメルが来るぞ!」。

 この一言に、エジプトの中心都市であるアレキサンドリアやカイロではパニックが起きていた。避難しようとする人々が銀行に押し寄せて我先に預金を引き出し、列車は乗客で満員となった。

 だが、イギリス軍とてただ手をこまねいていたばかりではない。クロード・オーキンレック大将は、枢軸軍の進撃を阻止するべく策を講じた。それは、抵抗しつつも、徐々にエジプト領内深くに後退するというものだった。なぜなら、枢軸軍はエジプトに深く入り込めば入り込むほどその兵站線が細く長くなるのに対して、イギリス軍はナイル・デルタ地方に近づけば近づくほどその兵站線が短く太くなるからだ。そして、敵の補給が苦しくなったところで、しかるべき反撃を加えよういうのである。

 もちろん、敗走の混乱の中で予定通りには物事は進まず、後退の途中にマルサ・マトルーでドイツ軍にしばし抵抗。その後、イギリス軍は一気に運命の地であるエル・アラメインまで撤退した。同地から、同軍の補給拠点のアレキサンドリアまではわずか約96km。

 その頃、枢軸軍は補給不足にあえいでいた。何しろ肝心の戦車ですら、ドイツ製のものは半分程度で、あとはイタリア製と、かなりの数を鹵獲したイギリス製戦車で賄っているほどだった。もちろん、ロンメルとて手をこまねいているわけではなく、ローマやベルリンに対してしきりに補給を要請していたが、それらは届かなかったのだ。現状で戦うしかないと決意した彼は7月1日、エル・アラメインに対する攻撃を開始した。第1次エル・アラメイン戦の勃発である。

 まず、歩兵部隊でエル・アラメインに直接の圧力をかけ、その間にパンツァートルッペンがエル・アラメインの背後に回り込み、後方を遮断するというロンメルお得意の戦法が試みられた。しかし、あとがないイギリス軍も必死に防戦。そのため、補給品と兵力が欠乏したドイツ軍の前進は随所で阻止されてしまう。パンツァートルッペンはエル・アラメインの背後に回り込むどころか、逆になけなしの戦車多数をイギリス軍の防戦で撃破されてしまったほどだ。

 翌2日、早くもイギリス軍は反撃を開始した。残り少ないIII号戦車やIV号戦車が、クルセーダーやM3と砲火を交える。

「右だ。右に回り込め!左の歩兵は気にするな!危なくないので無視しろ!」

「車長戦死!後退する」

「正面に対戦車砲!榴弾撃て!」

彼我双方の無線機から、戦火の中での緊迫した交信が溢れ出す。

 機関室を撃たれて激しく炎上するクルセーダー。被弾で片方のフェンダーを失ったまま戦闘を続けるIV号戦車。飛び交う弾雨の中、再生使用するために何とか損傷戦車を回収しようと奮闘するドイツ軍戦車回収班・・・。

イギリス軍の防戦は頑強で、さすがのロンメルも一時後退を命じた。こうして戦線が膠着状態になったところで、第1次エル・アラメイン戦は終了した。