女性が少ない江戸で女性らしさを生きる

 江戸の治安を預かる江戸町奉行所が享保6年(1721)に行なった人口調査では、町人は50万1394人だったという。これに参勤交代で出府している武家がおよそ50万人ほどいただろうというから、大江戸八百八町(実は1000を数えたという)には100万の人間がひしめいていた。

 江戸は、農家の次・三男がやって来る出稼ぎ人の町。だから、女性の数が少なかったというのが通説。ただ江戸時代末期の弘化元年(1844)に調べたところ、女性48%、男性が52%だったという数字もあり、ほぼ同数の男女がいたらしい。

 そんな江戸で、女性のできる仕事は現在ほど多くはなかった。大奥に上がるのは特例中の特例で、大名家、旗本や御家人などの奥向きに勤めに出られれば恩の字。長屋に住む女性は、水茶屋の茶汲み、料理屋や居酒屋の仲居、枝豆や糊の売り子などになるほかなかった。

 手に職があれば、洗濯屋、髪結い、産婆、手習い師匠、三味線の師匠などの仕事もあった。もちろん、太古から続く湯女、飯盛り女、夜鷹や女郎などの肉体労働もないではなかった。

「屁負比丘尼」は出家した女性の姿で娘のそばに離れず付き添い、娘の粗相を自らの失策と言いつくろう、という珍商売だった。

 そんな江戸で、ちょっと特殊だったのが「屁負比丘尼(へおいびくに)」や「小便組」という〝職業〟。前者は大店の娘などに仕え、いざというときに「粗相(そそう)をいたしました」と謝る仕事。乳母日傘で育った娘にとって、憎からず思う異性の前でプウとやってしまうのは死ぬより恥ずかしいことだったはず。その責を一身に負って、娘を庇うのが屁負比丘尼だったのだ。まさに〝珍商売〟も極まれり、といったところか。

どっこい女は生きている、を地で行く不思議な「小便組」。妾奉公を約束しておいて粗相をしでかし、旦那のほうから別れ話を言い出させたもの。


「小便組」というのは、大店のご隠居などの〝お妾奉公〟を約束して前金を頂いた後で、わざと寝小便をしでかしておを頂こうというチャッカリ業。旦那様が灸師を呼んで直してくれてしまったという笑えない一件もあるとか。

取材・文/白石宏一 イラスト/善養寺ススム

※一個人5月号(4月9日発売)より抜粋