長年の謎であった大和の最期について、戦艦大和の研究並びにコレクターとして第一人者である原勝洋氏が写真・取材・証言によって真実を解き明かした『真相・戦艦大和ノ最期』が刊行され、大きな話題となったのが2003年7月。
 この度、より多くの方に大和の真相を知ってもらうべく、同書の電子書籍版を制作、配信することとなった。

(以下は書籍刊行時のあとがきより) 

 戦争体験のない私にとって写真でしか見たことのない軍艦大和は、模型制作の憧れの対象であった。正確で詳細な「大和」を作りたい、その思いは、米軍が撮影したであろう写真の入手に着目させることになった。
 昭和四十五年、私は、米国防総省に日本海軍「大和」の写真を依頼する手紙を送った。その手紙は米国立公文書館に転送され、数ヵ月後、私は、鮮明で今までに見たこともない「大和」の写真を手にすることになる。
 当時、外貨送金には制限があり百ドル以上は、日銀の許可を必要としていた時代だった。
 翌年、私は、さらに米海軍歴史部門作戦記録公文書課より「大和」撃沈に参加した攻撃隊の記録を入手した。
その戦闘記録は攻撃機の数と機種、発進、攻撃そして帰還時刻、搭載兵器の種類と数、攻撃目標に対する被弾と被雷の評価、被害状況などすべてを含むものだった。
 私の興味は、模型作りから、大和の最期を再現したいとの思いに変わっていた。

 日本側の状況を伝える「大和」の戦闘を記録した「軍艦大和戦闘詳報」は、三十数年前、当時の防衛庁戦史室編纂官故稲葉正夫と史料専門官故小山健二の厚意でそのすべてを書き留めることができた。
 そして昭和二十年四月七日「大和」撃沈時の生存者へのインタヴューからは、戦闘記録に記載されていない場面の貴重な戦闘体験を聞くことになり、壮絶な戦いの様子を知ることとなった。

 なぜ「大和」は誘爆を起こしたのだろうか。
 これら検証は、最近発生した豪華客船の火災の原因、熱せられた鋼鈑による延焼などから納得できるものとなった。
 米軍記録そして日本側の戦闘記録と証言の合致する事実を検証する努力は、戦争体験のない私には骨の折れる作業だった。
 こうした作業を全面的に支援してくれた柴田武彦氏、生産技術資料「渋谷文庫」の「大和」関係文書の入手にご助力してくれた神戸商船大学西川栄一教授、同付属図書館中川健二専門員、兵器・艤装に関し貴重な資料を提供してくれた坂上隆、村岡淳、脇田直紀、張白瑩、茂木栄美各氏に深く感謝したい。

二〇〇三年六月七日 
原 勝洋


本書で公開された米軍写真や新資料(一部)

2番主砲は太陽方向からの敵編隊を迎え撃つため90度以上に旋回している。

 

大和の最期を見守る冬月と初霜。

 

■右)大谷豊吉が米海軍技術団に示した主砲発砲照準操作配員の配置図 ■左上)大和の砲身、砲架、砲塔の基本計画は昭和10年4月から具体化、翌年7月砲架製造を開始 ■左下)艦政本部は米国、英国、ドイツ各海軍の主力艦主砲の移り変わりを見て18インチ砲を選んだ