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実は祖先を祀り疫病を防ぐ行事だった〝お花見〟
――4月の行事を学び直す

■「季節行事」の意味と由来を知る・4月編

■山を桜で埋め尽くした蔵王権現への信仰

吉野山の桜は下千本、中千本、上千本、奥千本といわれるが、実際には3万本あるという。

 

 仏への信仰が山を桜の名所に変えてしまったところもある。

 奈良県の吉野山だ。

 7世紀の後半、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ、役行者とも)は吉野山で厳しい修行を重ねていたが、そのかいあって蔵王権現(ざおうごんげん)の示現を受けることができた。
 感激した役小角は桜の木を彫って、その姿を写したとされる。
 それ以来、桜は吉野山の御神木となり、本尊の蔵王権現に祈願をする者は山に桜を植えるようになった。
 その結果、吉野山には数万本の桜で埋め尽くされ、花見の一大名所となったのである。
 つまり、蔵王権現の信仰が広まらなければ、吉野山が桜でいっぱいになることはなかったし、豊臣秀吉が諸大名を引き連れて花見をすることもなかったわけだ。

 花と仏教の関わりで忘れてはならないものに、花祭がある。

 仏教の開祖・釈迦の誕生日を祝う行事で、毎年4月8日に行われる。
 花祭と呼ぶのは、誕生仏(生まれてすぐに7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と言った時の姿を写した像)を安置したお堂(花御堂)を花で飾るからだ。
 生まれたばかりの釈迦に龍王が香水(こうずい)をかけたという故事から像に甘茶をかけるため、灌仏会(かんぶつえ)ともいう。降誕会・仏生会ということもある。

 実は、花祭という名称は明治時代に始まったもので、歴史はまだ新しい。しかし、花御堂を花で飾ることは鎌倉時代頃から行われていた。
 南北朝時代の禅僧・義堂周信の日記によると、彼の弟子たちは花御堂を飾る花を集めるために自ら山に入って花を集めている。
 ただ、どのグループの花御堂が美しいか競い合ってケンカになり、義堂に一喝されるという、情けない結末になってしまったという(小学生かっ)。

 面白いのは15世紀前半に活躍した皇族、伏見宮貞成だ。
 彼は屋敷で誕生仏を拝するため、花御堂を菩提寺から運ばせている。
 信心深いというべきか、横着というべきか。案外、現代的な感覚の人だったのかも、と思ったりもしているのだが・・・
 ちなみに、アマゾンでは花御堂も売られている。

本堂に安置された花御堂。中にかわいらしい誕生仏が安置されている。

 

 

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渋谷 申博

しぶや のぶひろ

日本宗教史研究家

1960年東京都生まれ。早稲田大学卒業。
神道・仏教など日本の宗教史に関わる執筆活動をするかたわら、全国の社寺・聖地・聖地鉄道などのフィールドワークを続けている。
著書は『聖地鉄道めぐり』、『秘境神社めぐり』、『歴史さんぽ 東京の神社・お寺めぐり』、『一生に一度は参拝したい全国の神社』、『全国 天皇家ゆかりの神社・お寺めぐり』(G.B.)、『神社に秘められた日本書紀の謎』(宝島社)、『諸国神社 一宮・二宮・三宮』(山川出版社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』(日本文芸社)ほか多数。

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