新元号が発表される4月1日が近づいてきました。天皇陛下は、昨年12月24日の記者会見の席上で、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられましたが、確かに、近代天皇制が確立してから後の、明治、大正、昭和という3つの時代は、「戦争」に翻弄(ほんろう)されてきました。これに対し、ようやく平成という時代が「平和」のバトンを持ってスタートし、いよいよ次の走者にそのバトンが手渡されることは、本当に喜ばしいことです。ぜひこの格好の機会に、元号について学び、元号、そして日本の将来像を考えていただければ幸いです。

■単なる「習慣」だった元号

月岡芳年「大日本名将鑑」より「神武天皇」

 

「紀元節」(明治政府が定めた神武天皇即位の日)は、戦後、GHQ(連合国総司令部)の強い反対によって、国民の祝日にはなりませんでしたが、その後の紆余曲折を経て、昭和41(1966)年、「建国記念日」という名称に変更されて国民の祝日になりました。

 ちょうどこの頃から、「昭和」の次の元号制定の問題が広く取り沙汰され始めますが、「紀元節」を「建国記念日」として国民の祝日にすることに成功した政府・自民党や神社本庁などは、それまで単なる「習慣」としてしか用いられていなかった元号を、「建国記念日」と同様、この機会に法制化しておきたいと考えるようになりました。その背景には、「天皇制」や「建国記念日」や元号制度に反対する野党(社会党や共産党など)の動きがありました。

■昭和54(1979)年、元号法が可決成立

 こうして、今では想像もつきませんが、激しく賛否両論が交わされた後、昭和54(1979)年に元号法が可決成立しました。その内容は、

 (1)元号は、政令で定める
 (2)元号は、皇位の継承があった場合に限り改める

というもので、(1)によって元号は、天皇が詔(みことのり)で定めるのではなく、政府が公式に定めるものとなり、(2)によって1人の天皇につき元号が1つという「一世一元制」が確立しました。

 そして、具体的に新元号を決めるために、「元号選定手続」に関する要領が作られましたが、そこには、留意事項として以下のような内容が盛り込まれました。

 (ア)国民の理想としてふさわしいような、よい意味を持つものであること
 (イ)漢字2字であること
 (ウ)書きやすいこと
 (エ)読みやすいこと
 (オ)これまでに元号またはおくり名として用いられたものでないこと(筆者註:「おくり名」…死後に贈る名号)
 (カ)俗用されているものでないこと

このうち、(イ)の「漢字2字であること」は、あたりまえのようにも思いますが、247ある日本の元号のうち、奈良時代に、

・「天平感宝」(749年5月~8月)
・「天平勝宝」(749年8月~757年9月)
・「天平宝字」(757年9月~765年2月)
・「天平神護」(765年2月~767年9月)
・「神護景雲」(767年9月~770年10月)

といった5つの「4字元号」が連続して使用されたこともありました(唐の則天武皇が「天冊万歳」「万歳登封」といった4字元号を用いたことに由来?)。

 また、(ウ)の「書きやすいこと」も重要で、(ア)や(イ)の条件を満たしたとしても、例えば「麒麟」や「薔薇」「華麗」などといった文字は・・・ダメですよね!

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