■名戦車指揮官バイパーの進撃

横隊を組んでずらりと並んだケーニクスティーガー。当初、ドイツ軍では本車をティーガーIIの通称で呼んでいたが、西側連合軍が付けた渾名のキングタイガー(王虎)が徐々に知られるようになり、そのドイツ語訳であるこの名前で呼ばれるようになった。アメリカのM4シャーマンやソ連のT-34なら、2000m以上の遠距離からでも撃破可能な強力な8.8cm戦車砲を搭載していた。

 

「ヴァハト・アム・ライン」作戦におけるSS第6装甲軍の先鋒には、超エリート部隊として知られたSS第1装甲師団「ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー」が選ばれた。この先鋒部隊のさらに最先端を担ったのが、パイパー戦闘団である。同師団の基幹部隊でヨアヒム“ヨッヘン”パイパーSS中佐率いるSS第1戦車連隊に、各兵科の増援部隊を合わせた同戦闘団は、すべての障害を突破して、ひたすらアントウェルペンに向けて突っ走るのが任務であった。

 プロイセン士官の子として生まれたパイパーは、SS士官学校から「ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー」に配属され、自動車化歩兵部隊の指揮を経て、戦車部隊を指揮するようになった。東部戦線やノルマンディー戦で何度も優れた指揮能力を発揮した名戦車指揮官である。

 SS第1戦車連隊はIV号戦車(拙稿『「ロンメル親衛隊」、海岸に突破せよ! ~Dデー当日に実施された唯一のドイツ軍戦車部隊の反撃とIV号戦車:「走・攻・防」に秀でた第二次大戦期のドイツ軍戦車(2017年07月05日配信)』参照)とパンター(拙稿『陸戦の王者“アニマル・シリーズ”の雄、パンター:戦車王国ドイツが誇る第二次大戦最強の中戦車(2018年04月04日~配信)』参照)を装備していたが、戦闘団化に際して、強力なケーニクスティーガーを装備するSS第501独立重戦車大隊が付け加えられた。その結果、戦闘団には約20輌の「最強の虎」として連合軍から恐れられた同車が加わり、戦車の数は約90両となった。なおSS第501独立重戦車大隊は、それまでSS第101独立重戦車大隊として戦ってきたが、装備戦車をティーガーI(拙稿『無敵重戦車ティーガーI戦記:戦車王国ドイツが誇る第二次大戦最強の中戦車(2018年02月07日~配信)』参照)から徐々にケーニクスティーガーへと更新し、部隊番号も1944年9月に501へと変更されていた。

 

 パイパー戦闘団の発進地点は、ブランケンハイムの森道だった。足が速く装甲も優れたパンターを先頭に、IV号戦車、装甲擲弾兵を乗せたSd.kfz.251ハーフトラック(拙稿『電撃戦を支えたハーフトラックSd.kfz.251:ドイツ装甲師団を支えた「鉄火場の装甲タクシー」の本命となった万能車Sd.Kfz.251(2019年01月30日配信)』参照)の順で並び、強力だが足が遅いケーニクスティーガーは縦列の後方を進み、必要に応じて前に出る態勢がとられた。

「パンツァー、フォー(戦車、進め!)」

 事前砲撃開始から約90分後の0700時、先頭のパンターのキューポラに半身を現した車長が、片手で喉頭マイクを押さえて怒鳴った。かくして、パイパー戦闘団の突進が開始された。先鋒のさらに切っ先を担うパイパー戦闘団の進撃順位は最優先で、SS第1装甲師団に割り当てられた二つのロールバーン(進撃路)のうち、「D」の最前部を進むことになっていた。ところが、あまり進まないうちに多数の味方部隊の集中で生じた交通渋滞に巻き込まれ、だいぶ時間をロスしてしまった。

「ヴァハト・アム・ライン」作戦に際して、ドイツ軍は連合軍の強力な航空支援を封殺すべく悪天候が続く時期を狙って作戦を発動したが、少しでも天候が回復すると、ヤーボ(ドイツ語で戦闘爆撃機を意味するヤークトボンバーの略)がパイパー戦闘団を空から襲った。

 進撃開始後、パイパー戦闘団は防備に就いていたいくつかのアメリカ軍小部隊と接触、交戦してこれをたやすく撃破。実は作戦の前半における同戦闘団にとっては、アメリカ軍よりもオットー(燃料の暗号)不足のほうが「強敵」であった。作戦開始後も全く解消されないロールバーンの渋滞で最先端を進む戦闘団までは後方からの補給物資が届きにくいうえ、ドイツ軍全体でのそれらの備蓄がかつかつだったからだ。

 パイパーは、自分の戦闘団が最先端を進んでいると判断していた。ということは、他の部隊のロールバーンに割り込んで少々進んだところで、渋滞など起こる訳もない。そこで彼は、SS第12装甲師団「ヒトラー・ユーゲント」に割り当てられていたロールバーンCに割り込むと、進路上のビュリンゲンに所在するアメリカ軍の大規模物資集積所を襲った。その目的は、進路の掃討に加えて燃料や糧食などの鹵獲であり、目論見は見事に成功したのだった。