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徳川家康が実践した戦国一の食養生

戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑩】

■季節外れのもの、冷たいものは食べない

 家康は現代でいう健康オタクで、当時最先端の医学書、薬学書を読みふけり、高名な医師を招いては議論をかわしました。そんな家康に大きな影響を与えたのが天海僧正です。天海は現在の福島県の生まれで、108歳で亡くなったと伝えられていますが、よくわかっていません。

 天海の故郷とされる会津は当時から納豆作りが盛んでした。煮豆を温かいうちに藁で巻いて雪に埋めると余熱が続き、じんわり発酵させることができます。当時は納豆を味噌汁に入れて食べるのが普通で、天海も納豆汁を好み、家康が体調を崩したときに食べさせたという記録があります。大豆と大豆の組み合わせですから、栄養たっぷりだったでしょう。

 さて、天海が長生きの秘訣として家康にすすめたのが粗食でした。粗食といっても粗末な食事ではなく、飾らない食事のことです。地元で手に入れた新鮮な旬の食材を使い、あまり手を加えずに食べるよう助言したのです。

 家康は、この教えをかたくななまでに守りました。

 旧暦の11月、今の暦だと冬のある日、織田信長から立派な桃が贈られてきたことがありました。桃の本来の旬は初夏です。家臣らは驚いて、織田殿はすごい、こんな時期にどうやって桃を手に入れたんだろう、とどよめきましたが、家康は手をつけようとしません。自分は食べるわけにはいかないと言って、桃を家臣に与えてしまいました。

 

 珍しいもの好きな信長には悪気はなかったでしょう。けれども、季節外れの食品は体に良くないと考えていたのは天海と家康だけではありませんでした。武田信玄は桃の話を伝え聞き、「家康は大望があるから、養生を第一に考えたのだろう」と語ったと言われています。また、毛利元就の孫、毛利輝元から豊臣秀吉に贈られてきた、同じく季節外れの桃を石田三成が受け取らず、毛利家の使者に持ち帰らせたという逸話もあります。

 野菜、果物に含まれるビタミン、ミネラルの量はたいてい旬の時期にもっとも多く、季節外れになると大きく減ってしまいます。鮮度も重要で、収穫してから一日たつだけで栄養素が急速に失われます。珍しいものを遠くから取り寄せて食べていた平安貴族の食事が、いかに不健康だったかわかりますね。

 家康は腐敗にも用心しました。武士が戦地で食べる陣中食に干し飯があります。炊いたお米を数日間天日干しして作る保存食で、湯に浸して戻すと食べられます。これを家康は焼いて食べました。いたんでいるといけないと考えたのでしょう。さすが、やることが徹底しています。

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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